ここまでの予選グループ6
1992年スウェーデンで開催されるEURO本大会出場権をかけて行われている予選は、各組1位に出場権が与えられておりグループ6は両国が有力視されていた。ディフェンディングチャンピオンのオランダは、初戦のアウェー・ポルトガル戦を落として黒星スタートとなったが、その後は立て直して4勝1敗1分でホームの大一番ポルトガル戦を迎えることになった。
一方のポルトガルは、ホームでオランダを破ったがアウェーのギリシャ戦を落としてしまい、折角のアドバンテージを失ってしまった。結局、オランダと同じ4勝1敗1分で大一番のアウェー・オランダ戦を迎えることになってしまった。両国とも残り試合がこの試合も含めて2試合のため、この試合に勝った方が本大会出場に近づくことになる。
試合
大一番の試合はホームのオランダがボールをキープして支配していき、7分にR・クーマンのくさびのパスを受けたファン・バステンがそのままミドルシュートを撃ったがGKバイアが防ぎ、11分には右サイドからフリットがポルトガルゴール前にセンタリングを上げ、ファン・バステンが頭で合わせたがゴールにはならなかった。
そして前半20分、左サイドからファン・ティヘレンが前線にクロスを上げ、ライカールトのポストプレーからのこぼれ球をポルトガルDFのコウトがクリアしたが、そのボールがビツィヘの前に転がり、直接ポルトガールゴールに蹴り込んでオランダが先制点を挙げた。
先制されたポルトガルは反撃に出るがバロス、フットレのドリブルなど個人技での打開が多く、なかなか効果的なチャンスを作れずにいた。オランダは後方のビルドアップからパスワークで繋いでいき、よりチャンスを構築していたのはオランダの方だった。前半はこのままオランダリードで終了して折り返しを迎えることになった。
後半に入って開始早々の46分、右サイドからフリットのクロスをファン・バステンがヘディングシュートを狙ったが枠を外してゴールはならず、さらに49分のフリットのシュートも枠を外れてゴールにはならなかった。なかなかペースを掴めないポルトガルは後半56分にギマラエスに代えて期待の新星フィーゴを投入して打開を図ってきた。
その直後の57分、コウトのロングフィードに反応したフットレがオフサイドラインを抜け出してボールを受け、ドリブルで持ち込んでゴール前のカデテに折り返したがオランダDFにクリアされてしまった。64分には右サイドからのフットレのクロスにバロスがオランダゴール前に飛び込んだが一歩合わなかった。
さらに後半71分、右サイドのショートコーナーからフィーゴがミドルレンジにフリーでいたピントにパスを出し、ピントがミドルシュートを撃ったがゴールキーパーの正面で得点にはならなかった。結局最後までポルトガルはゴールを割ることが出来ず、試合は1-0のままホームのオランダが勝利を収めた。
その後の両国
大一番を制したオランダは、最終戦のギリシャ戦も勝利して1位通過を決めて、晴れて本大会出場権を獲得することになった。翌年の本大会でも連覇を目指してディフェンディングチャンピオンとして大会に臨んだが、準決勝で制裁を受けて出場権剝奪となったユーゴスラヴィアに代わって出場した伏兵デンマークに、2-2の延長PK戦の末に敗れて連覇はならなかった。
一方のポルトガルは、結局この試合の敗戦により2大会ぶりの本大会出場とはならなかった。1986年のワールドカップからメジャー大会の出場が遠ざかっているポルトガルだが、1989年、1991年のワールドユースを制したメンバーが今後の代表を引っ張っていくことになる。
余談
この大一番の試合に勝利したオランダは本大会出場権を獲得したわけだが、この試合の勝利以降は現在に至るまで30年以上、公式戦でポルトガルに勝つことが出来なくなってしまうのである。
2002年日韓ワールドカップ欧州予選では1分1敗で本大会出場を逃し、2004年のEUROポルトガル大会では準決勝、2006年ドイツワールドカップでは決勝トーナメント1回戦、2012年のEUROではグループリーグで、2019年は新設されたネーションズリーグの決勝といずれも敗れており、オランダにとってポルトガルは鬼門となっている。
出場選手(オランダ)
GK 1 H・ファン・ブロイケレン 1988年、1992年のEUROに出場。
DF 2 D・ブリント 1996年のEUROに出場。1980年代から1990年代のオランダを代表する名リベロ。後にオランダ代表監督に就任。現オランダ代表デイリー・ブリントは息子である。
DF 3 A・ファン・ティヘレン 1988年、1992年のEUROに出場。
DF 4 R・クーマン 1988年、1992年のEUROに出場。1980年代から1990年代前半のオランダを代表する名リベロ。現オランダ代表監督。
DF 5 E・クーマン 1988年のEUROに出場。実弟は現オランダ代表監督のR・クーマンである。
MF 6 J・ボウタース 1988年、1992年のEUROに出場。
MF 7 F・ライカールト ▼74分 1988年、1992年のEUROに出場。1980年代から1990年代前半のオランダを代表するオールラウンドミッドフィルダー。後にオランダ代表監督に就任し、2000年の地元開催のEUROに監督として出場。バルセロナ監督時代にメッシをプロデビューさせている。
MF 8 D・ベルカンプ 1992年、1996年、2000年のEUROに出場。1990年代から2000年代前半のオランダを代表するスタープレイヤー。
FW 9 M・ファン・バステン 1988年、1992年のEUROに出場し、1988年は得点王。1980年代から1990年代前半のオランダを代表する史上最高のストライカー。後にオランダ代表監督に就任し、2008年のEUROに監督として出場。1988年、1989年、1992年にバロンドール受賞。
FW 10 R・フリット Ⓒ 1988年、1992年のEUROに出場。1980年代から1990年代前半のオランダを代表するスタープレイヤー。1987年にバロンドール受賞。
FW 11 R・ビツィヘ ▼87分 1992年のEUROに出場。
MF 12 A・ヴィンター △74分 1992年、1996年、2000年のEUROに出場。
FW 14 J・ファント・シップ △87分 1988年、1992年のEUROに出場。
監督 R・ミケルス オランダ史上最高の監督。1988、1992年のEUROに監督として出場し、1988年は優勝に導いている。
出場選手(ポルトガル)
GK 1 V・バイア 1996年、2000年のEUROに出場。1990年代から2000年代のポルトガルを代表するゴールキーパー。
DF 2 J・ピント Ⓒ 1984年のEUROに出場。
DF 3 レアル
DF 4 ベナンシオ
DF 5 F・コウト 1996年、2000年、2004年のEUROに出場。1980年代後半から2000年代のポルトガルを代表するディフェンダー。
MF 6 E・ペイシェ ▼80分
MF 7 オセアノ 1996年のEUROに出場。
MF 8 ルイ・バロス 1980年代後半から1990年代のポルトガルを代表するオフェンシブミッドフィルダー。
MF 10 P・フットレ 1980年代から1990年代のポルトガルを代表するドリブラー。後にJ・リーグの横浜フリューゲルスに選手として在籍。
FW 9 J・カデテ 1996年のEUROに出場。
FW 11 ギマラエス ▼56分
MF 15 ルイス・フィーゴ △56分 1996年、2000年、2004年のEUROに出場。1990年代から2000年代のポルトガルを代表する史上最高の選手の一人。2000年にバロンドール受賞。
MF 16 ブリト △80分
監督 C・ケイロス ポルトガルを代表する名将の一人。後にJ・リーグの名古屋グランパスに監督として在籍。
試合結果
オランダ 1-0 ポルトガル
得点 R・ビツィヘ(オランダ) 20分