大会概要とグループ1
1980年にイタリアで開催されるEURO本大会は、出場国が4カ国から8カ国に増え、4カ国でグループリーグ戦を行い、各組の1位が決勝戦、各組の2位が3位決定戦をして優勝を決めることになっている。グループ1にはディフェンディングチャンピオンで前回大会優勝のチェコスロヴァキア、準優勝の西ドイツ、3位のオランダ、そしてギリシャと前回大会のベスト3が同居するグループとなった。
西ドイツの初戦は、ディフェンディングチャンピオンのチェコスロヴァキアと前回大会決勝の再戦となり、ルンメニゲのゴールで1-0で勝利してリベンジし、幸先の良いスタートをきった。一方のオランダは初戦のギリシャ戦を、こちらも1-0で勝利して白星で大会のスタートをきっていた。そして永遠のライバルでもある両国は第2戦で激突し、勝った方が決勝進出に向けて大きく前進することになる。
試合
1974年と1978年のワールドカップで歴史に残る名勝負を繰り広げてきた両国の対戦は、前半10分頃から西ドイツがペースを掴み、右サイドからカルツがセンタリングを上げてルベッシュがヘディングシュートを狙ったが枠を外してしまう。前半15分にはシュスターが右サイドを突破してオランダゴール前に折り返し、ルベッシュが合わせて飛び込むがゴールにはならなかった。
そして前半20分、ペナルティエリア外中央からシュスターが強烈なシュートを撃つとポストにあたり、跳ね返ったところをアロフスが押し込んで西ドイツが先制点を挙げた。その後も西ドイツがチャンスを作っていくが得点には至らず、一方のオランダはなかなかドイツペナルティエリア内に入り込めずにレップ、クロルのミドルシュートぐらいしかチャンスがなかった。
前半終了間際には西ドイツGKシューマッハーとハーン、レップが揉め合うなど、オランダは少々フラストレーションが溜まる展開になってしまい、前半は1-0のまま西ドイツリードで折り返しを迎えることになった。
後半に向けてオランダは、ホーフェンカンプに代えてナニンガを投入して打開を図ってきた。後半52分、左サイドから西ドイツペナルティエリア内に侵入したR・ファン・デ・ケルクホフを、シュティーリケが倒してしまうがPKにはならず間接FKとなった。その間接FKはキストが壁にあててゴールにはならず、直後のペナルティエリア正面のFKではトリックプレーを使ったが、オフサイドにかかってしまいゴールを割ることは出来なかった。
すると後半60分、オランダペナルティエリア内の混戦からミュラーがアロフスにパスを出し、アロフスがオランダゴールに蹴り込んで西ドイツが追加点を挙げた。続く65分、左サイドからペナルティエリア内にドリブルで侵入したシュスターが折り返し、これを再びアロフスがこの日ハットトリックとなる3点目のゴールを挙げて西ドイツがさらにリードを広げた。
3点差にされて苦しくなったオランダは、後半69分に右サイドを突破したレップがセンタリングを上げ、ナニンガが頭で合わせたが惜しくも枠を外してしまった。さらにW・ファン・デ・ケルクホフ、ハーンがそれぞれミドルシュートを放つが、いずれもゴールにはならなかった。
しかし、後半79分に右サイドを突破して西ドイツペナルティエリアに侵入したワインステカースをマテウスが足で引っ掛けて倒してしまいPKを獲得した。ファウルした位置はペナルティエリア外だったようにも見えたが、このPKをレップが決めてようやくオランダが1点を返した。
さらに後半85分、W・ファン・デ・ケルクホフが左サイド45度の位置から豪快にミドルシュートを突き刺し、オランダが1点差に詰め寄った。残り時間オランダはパワープレーで同点に追いつこうとするが、西ドイツディフェンスが踏ん張り、このまま3-2で逃げ切って西ドイツが勝利を収めた。
その後の両国
ライバルのオランダを破って2連勝となった西ドイツは、グループ最終戦のギリシャ戦の前にオランダ対チェコスロヴァキア戦が引き分けに終わった為、3大会連続の決勝進出が確定していた。決勝の相手は混戦のグループ2を勝ち上がったベルギーとなり、試合は終盤まで拮抗していったが、ルベッシュが決勝点を挙げて西ドイツが2大会ぶり2度目のEURO制覇となった。
西ドイツに敗れて自力での決勝進出がなくなったオランダは、僅かな望みをかけて最終戦のチェコスロヴァキア戦に臨んだが、結局1-1の引き分けに終わりグループリーグ敗退に終わった。そしてオランダはこのEURO1980を最後に、しばらくはメジャー大会の出場に遠ざかることになるのである。
出場選手(西ドイツ)
GK 1 H・シューマッハー 1980年、1984年のEUROに出場。1970年代から1980年代の西ドイツを代表する史上最高のゴールキーパであり、欧州を代表するゴールキーパーの一人。
DF 5 B・ディーツ Ⓒ ▼73分 1976年、1980年のEUROに出場。
DF 15 U・シュティーリケ 1980年、1984年のEUROに出場。1970年代から1980年代の西ドイツを代表するミッドフィルダーであり、欧州を代表するミッドフィルダーの一人。
DF 4 K・H・フェルスター 1980年、1984年のEUROに出場。1970年代後半から1980年代の西ドイツを代表する史上最高のストッパーの一人であり、欧州を代表するストッパーの一人。元西ドイツ代表のベルント・フェルスターは実兄である。
DF 20 M・カルツ 1976年、1980年のEUROに出場。1970年代から1980年代の西ドイツを代表する右サイドバック。
DF 2 H・P・ブリーゲル 1980年、1984年のEUROに出場。1970年代から1980年代の西ドイツを代表するディフェンダー。
MF 6 B・シュスター 1980年のEUROに出場。1980年代から1990年代前半のドイツを代表するゲームメーカーであり、欧州を代表するゲームメーカーの一人。
MF 10 H・ミュラー ▼65分 1980年のEUROに出場。1970年代後半から1980年代の西ドイツを代表するオフェンシブミッドフィルダー。
MF 8 K・H・ルンメニゲ 1980年、1984年のEUROに出場。1970年代から1980年代の西ドイツを代表する史上最高の選手の一人であり、欧州を代表する史上最高の選手の一人。1980年、1981年にバロンドール受賞。J・リーグの浦和レッズでプレーしたミヒャエル・ルンメニゲは実弟である。
FW 9 H・ルベッシュ 1980年のEUROに出場。
FW 11 K・アロフス 1980年、1984年のEUROに出場。
MF 14 W・F・マガト △65分 1980年のEUROに出場。1970年代から1980年代の西ドイツを代表するゲームメーカー。
MF 18 L・マテウス △73分 1980年、1984年、1988年、2000年のEUROに出場。1980年代から1990年代のドイツを代表する史上最高の選手の一人であり、欧州を代表する史上最高の選手の一人。1990年にバロンドール受賞。
監督 J・デアヴァル 西ドイツを代表する名将の一人。1980年、1984年のEUROに監督として出場し、1980年は優勝に導いている。
出場選手(オランダ)
GK 1 P・スフレイフェルス 1976年、1980年のEUROに出場。
DF 2 B・ワインステカース 1980年のEUROに出場。
DF 5 R・クロル Ⓒ 1976年、1980年のEUROに出場。1970年代から1980年代のオランダを代表する史上最高のディフェンダーの一人。
DF 3 M・ファン・デ・コルプット 1980年のEUROに出場。
DF 4 H・ホーフェンカンプ ▼46分 1980年のEUROに出場。
MF 15 H・ステフェンス 1980年のEUROに出場。
MF 10 A・ハーン 1980年のEUROに出場。1970年代から1980年代前半のオランダを代表するディフェンシブミッドフィルダー。
MF 8 W・ファン・デ・ケルクホフ 1976年、1980年のEUROに出場。元オランダ代表のレネ・ファン・デ・ケルクホフは実弟であり、アンドレ・オーイェルは義理の息子である。
FW 12 J・レップ 1976年、1980年のEUROに出場。1970年代から1980年代のオランダを代表するウインガー。
FW 9 K・キスト ▼69分 1980年のEUROに出場。
FW 7 R・ファン・デ・ケルクホフ 1976年、1980年のEUROに出場。元オランダ代表のウィリー・ファン・デ・ケルクホフは実兄である。
MF 13 D・ナニンガ △46分 1980年のEUROに出場。
MF 18 F・タイセン △69分 1980年のEUROに出場。
監督 J・ズヴァルトクライス 1980年のEUROに監督として出場。
試合結果
1980年6月14日 スタディオ・サン・パオロ(ナポリ)
西ドイツ 3-2 オランダ
得点 K・アロフス(西ドイツ) 20分
K・アロフス(西ドイツ) 60分
K・アロフス(西ドイツ) 65分
J・レップ(オランダ) 79分
W・ファン・デ・ケルクホフ(オランダ) 85分