ここまでのグループC
優勝候補の一角として本大会に出場してきた欧州王者フランスは、初戦で初出場のカナダと対戦して思わぬ苦戦を強いられたがパパンのゴールで振り切り、白星で大会のスタートをきった。一方、ソ連は2大会連続の出場となり、初戦で東欧対決となったハンガリー戦を6-0で大勝して最高のスタートをきることが出来た。
そしてこのグループの本命とされる両国は第2戦で対戦することになり、勝った方がグループ首位通過に近づくことになる。
試合
試合は互角の展開で始まり、2分にフランスが右サイドからのFKをプラティニがソ連ゴール前にクロスを上げ、ストピラが頭で合わすが枠を外れてしまった。ソ連は11分に右サイドからベラノフがフランスゴール前にクロスを上げ、ザヴァロフが頭で合わしたがGKバツが処理してゴールにはならず。
前半14分、ソ連の左サイドのCKからアレイニコフにパスを出し、ザヴァロフとのワンツーからシュートを撃ったが枠を外れてしまう。16分にはフランスが左サイドからクロスにパパンが飛び込んだが合わせることが出来ず、20分にはストピラがミドルシュートを撃ったがGKダサエフにセーブされてゴールにはならなかった。
前半20分過ぎから両チーム膠着状態に陥り時間が経過していった38分、プラティニがボールカットしてパパンにスルーパスを出してシュートを撃ったがGKダサエフがセーブしてゴールならず、さらに前半42分にソ連ペナルティエリア外左寄りの位置からのFKをプラティニが直接狙ったが、ポストに直撃して惜しくもゴールにはならなかった。そして前半はスコアレスのまま終了してハーフタイムに入っていった。
後半に入ると前半同様に互角の攻防で始まっていったが53分、ソ連がフランス陣内でのパス交換から最後はラッツが豪快にミドルシュートをフランスゴールに突き刺してソ連が先制点を挙げた。先制されたフランスは60分、ペナルティエリア外左の位置からプラティニが直接狙ったが枠を外してしまう。
しかし、その2分後の後半62分、中央でボールを受けたジレスが浮き球のパスをソ連ペナルティエリア内に入れ、フェルナンデスが見事なボールコントロールからシュートを決めてフランスが同点に追いついた。同点後はフランスペースになり、64分と66分にティガナがミドルシュートを撃ち、70分には右サイドからストピラのクロスをパパンが頭で合わせたがゴールとはならなかった。
その後はお互いにチャンスは作るがゴールまでは至らず、後半80分以降は猛暑もあって両チーム足が止まり、引き分けでも良しとしたか、試合は1-1のまま終了してお互いに勝点を1ずつ加えるにとどまった。
その後の両国
欧州王者フランスは、最終戦のハンガリー戦を勝利して2勝1分の勝点5でソ連と並んだが得失点差で下回りグループ2位通過となった。決勝トーナメント1回戦でディフェンディングチャンピオンのイタリアを破り、歴史的名勝負となった準々決勝のブラジル戦は1-1の延長PK戦の末に下して、2大会連続で準決勝に進出した。しかし、前回大会の再戦となった準決勝で西ドイツにまたしても屈してしまい決勝進出とはならなかった。
ソ連は最終戦のカナダ戦を勝利して2勝1分の勝点5で得失点差でフランスを上回り、グループを首位で通過した。決勝トーナメント1回戦では前回大会でも対戦したベルギーとなり、激しい点の取り合いとなった試合を競り負けて敗退となった。
出場選手(フランス)
GK 1 J・バツ 1986年のワールドカップに出場。
DF 2 M・アモロス 1982年、1986年のワールドカップに出場。1980年代から1990年代前半のフランスを代表するサイドバック。
DF 3 W・アヤッシュ 1986年のワールドカップに出場。
DF 6 M・ボシス 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のフランスを代表するディフェンダー。
DF 4 P・バティストン 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。
MF 9 L・フェルナンデス 1986年のワールドカップに出場。1980年代から1990年代前半のフランスを代表するミッドフィルダー。
MF 12 A・ジレス ▼83分 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のフランスを代表するミッドフィルダー。
MF 14 J・ティガナ 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のフランスを代表する史上最高のミッドフィルダーの一人であり、欧州を代表するミッドフィルダーの一人。
MF 10 M・プラティニ Ⓒ 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のフランスを代表する史上最高の選手であり、欧州を代表する史上最高の選手の一人。後年フランス代表監督に就任し、UEFA会長にも就任する。1983年、1984年、1985年にバロンドール受賞。
FW 17 J・P・パパン ▼76分 1986年のワールドカップに出場。1980年代から1990年代のフランスを代表する史上最高のストライカーの一人であり、欧州を代表するストライカーの一人。1991年にバロンドール受賞。
FW 19 Y・ストピラ 1986年のワールドカップに出場。
FW 16 B・ベロンヌ △76分 1982年、1986年のワールドカップに出場。
MF 15 P・ベルクリュイス △83分 1986年のワールドカップに出場。
監督 H・ミシェル 1978年のワールドカップに選手として出場し、1986年のワールドカップに監督として出場して3位入賞。
出場選手(ソ連)
GK 1 R・ダサエフ 1982年、1986年、1990年のワールドカップに出場。1970年代後半から1990年代前半のソ連を代表する史上最高のゴールキーパーの一人であり、欧州を代表する史上最高のゴールキーパーの一人。
DF 2 V・ベゾノフ 1982年、1986年、1990年のワールドカップに出場。元新体操選手の世界女王アンナ・ベッソノワは娘である。
DF 5 A・デミネンコ Ⓒ 1982年、1986年、1990年のワールドカップに出場。1970年代後半から1990年代前半のソ連を代表する左サイドバック。
DF 10 O・クズネツォフ 1986年、1990年のワールドカップに出場。
DF 15 N・ラリオノフ 1986年のワールドカップに出場。
DF 21 V・ラッツ 1986年、1990年のワールドカップに出場。
MF 7 I・ヤレムチュク 1986年、1990年のワールドカップに出場。
MF 8 P・ヤコヴェンコ ▼68分 1986年のワールドカップに出場。
MF 9 O・ザヴァロフ ▼58分 1986年、1990年のワールドカップに出場。1970年代後半から1990年代前半のソ連を代表する史上最高のオフェンシブミッドフィルダーの一人。
MF 20 S・アレイニコフ 1986年、1990年のワールドカップに出場。後年J・リーグのガンバ大阪に選手として在籍する。
FW 19 I・ベラノフ 1986年のワールドカップに出場。1980年代から1990年代前半のソ連を代表するストライカー。1986年にバロンドール受賞。
FW 11 O・ブロヒン △58分 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のソ連を代表する史上最高の選手であり、欧州を代表する史上最高の選手の一人。後年ウクライナ代表監督に就任し、2006年のワールドカップに監督として出場。1975年にバロンドール受賞。
FW 14 S・ロディオノフ △68分 1982年、1986年のワールドカップに出場。
監督 V・ロバノフスキー ソ連・ウクライナを代表する史上最高の監督。1986年、1990年のワールドカップに監督として出場。
試合結果
1986年6月5日 エスタディオ・レオン(レオン)
フランス 1-1 ソ連
得点 V・ラッツ(ソ連) 53分
L・フェルナンデス(フランス) 62分