ここまでのグループA
ディフェンディングチャンピオンのイタリアは、前回優勝国として予選免除で本大会出場権を獲得しており、またEURO1984フランス大会の出場を逃していた為、実質的に2年半近く公式戦から離れていた。そのため試合勘の衰えも危惧された中で、初戦のブルガリア戦を行い1-1の引き分けで大会をスタートすることになった。
前回はディフェンディングチャンピオンとして臨んだワールドカップで2次リーグ敗退に終わったアルゼンチンは、王座奪回を掲げて本大会に出場してきた。前回大会は退場処分で終わったエース・マラドーナが大黒柱としてチームを引っ張り、初戦は韓国に3-1で勝利して白星で大会をスタートした。
そしてグループ第2戦で両国は対戦することになり、このカードはワールドカップで4大会連続の顔合わせとなった。この両国がこのグループの本命とされており、勝った方がグループ1位通過に近づくことになる。
試合
試合はアルゼンチンがボールをキープして始まり、イタリアがカウンターで応酬する展開になり、前半6分にアルゼンチンペナルティエリア内でコンティとガレがマッチアップして、競り合ったボールのはね返ったボールがブルチャガの手にあたり、イタリアにPKが与えられた。アルゼンチンにとっては厳しい判定となったが、これをアルトベッリが決めてイタリアが先制点を挙げた。
さらに前半9分、イタリアがカウンターからコンティが右サイドを駆け上がってアルゼンチンペナルティエリア内にクロスを上げ、デ・ナポリがヘディングで合わせたが枠を外れてしまった。アルゼンチンは18分に、右サイドからマラドーナがドリブルでイタリアDFを2人かわしてシュートを撃ったがDFにあたって枠を外れていった。
その後もアルゼンチンが攻め込んでいった前半34分、ジュスティが中央のヴァルダーノにパスを出し、ヴァルダーノがワンタッチの浮き球をイタリアペナルティエリア内に上げると、マラドーナがボレーシュートでイタリアゴールに蹴り込んでアルゼンチンが同点に追いついた。
試合は振出しに戻ると両チームコンタクトが激しくなっていき、デ・ナポリは流血したり、アルゼンチンGKプンピードにバーニが体当たりして両軍入り乱れての揉み合いになったりしていった。前半終了間際の44分、右サイドを上がったルジェリがイタリアゴール前にクロスを上げ、ヴァルダーノがダイビングヘッドで狙ったが惜しくも外れてしまった。そして前半は1-1のまま終了してハーフタイムに入っていった。
後半に入り、57分にイタリアが左サイドからのクロスをアルトベッリが頭で落とし、コンティがシュートを撃ったがポストに直撃してゴールにはならなかった。後半69分にアルゼンチンはFKをオラルティコエチェアがイタリアゴール前にクロスを上げ、ヴァルダーノがヘディングで合わせたがゴールにならず。
後半70分を過ぎるとお互いに無理な攻撃はせずに膠着状態になっていき、イタリアがカブリーニとバーニ、アルゼンチンはヴァルダーノがそれぞれシュートを放ったくらいで、試合は1-1のまま終了して勝点1ずつを分け合うことになった。
その後の両国
ディフェンディングチャンピオンのイタリアは、最終戦の韓国戦を3-2で競り勝ち1勝2分の2位でグループを通過した。決勝トーナメント1回戦では欧州王者のフランスと対戦して0-2で敗れて敗退となり連覇とはならなかった。今大会のイタリアは大したインパクトを残さないまま大会を去ることになった。
王座奪回を狙うアルゼンチンは、最終戦のブルガリア戦を2-0で勝ち2勝1分でグループを1位で通過した。決勝トーナメント1回戦では同じ南米のウルグアイを下し、準々決勝のイングランド戦と準決勝のベルギー戦をともにマラドーナの2ゴールで下して決勝に進出した。そして決勝でも西ドイツを3-2で下して2大会ぶり2度目の優勝を決めることになった。
出場選手(イタリア)
GK 1 G・ガリ 1986年のワールドカップに出場。1970年代後半から1990年代前半のイタリアを代表する史上最高のゴールキーパーの一人であり、欧州を代表するゴールキーパーの一人。
DF 2 G・ベルゴミ 1982年、1986年、1990年、1998年のワールドカップに出場。1980年代から1990年代のイタリアを代表する史上最高のディフェンダーの一人であり、欧州を代表するディフェンダーの一人。
DF 3 A・カブリーニ 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のイタリアを代表する史上最高の左サイドバックであり、欧州を代表する史上最高の左サイドバックの一人。
DF 6 G・シレア Ⓒ 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のイタリアを代表する史上最高の選手の一人であり、欧州を代表する史上最高の選手の一人。
DF 8 P・ヴィエルコウッド 1986年、1990年のワールドカップに出場。1980年代から1990年代のイタリアを代表する史上最高のセンターバックの一人であり、欧州を代表する史上最高のセンターバックの一人。
MF 14 A・ディ・ジェンナーロ 1986年のワールドカップに出場。
MF 10 S・バーニ 1986年のワールドカップに出場。
MF 13 F・デ・ナポリ ▼87分 1986年、1990年のワールドカップに出場。
MF 16 B・コンティ ▼65分 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のイタリアを代表する史上最高のウインガーの一人であり、欧州を代表するウインガーの一人。
FW 19 G・ガルデリージ 1986年のワールドカップに出場。
FW 18 A・アルトベッリ 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のイタリアを代表するストライカー。
FW 17 G・ヴィアッリ △65分 1986年、1990年のワールドカップに出場。1980年代から1990年代のイタリアを代表する史上最高のストライカーの一人。
MF 11 G・バレージ △87分 1986年のワールドカップに出場。元イタリア代表のフランコ・バレージは実弟である。
監督 E・ベアルツォット イタリアを代表する史上最高の監督の一人。1978年、1982年、1986年のワールドカップに監督として出場し、1982年は優勝に導いている。
出場選手(アルゼンチン)
GK 1 N・プンピード 1986年、1990年のワールドカップに出場。
DF 5 J・L・ブラウン 1986年のワールドカップに出場。
DF 13 O・ガレ 1986年のワールドカップに出場。
DF 9 J・L・クシューフォ 1986年のワールドカップに出場。
DF 19 O・ルジェリ 1986年、1990年、1994年のワールドカップに出場。1980年代から1990年代のアルゼンチンを代表する史上最高のディフェンダーの一人であり、南米を代表するディフェンダーの一人。
MF 2 S・バティスタ ▼59分 1986年、1990年のワールドカップに出場。後年J・リーグの鳥栖フューチャーズに選手と監督として在籍し、アルゼンチン代表監督に就任する。
MF 14 R・ジュスティ 1986年、1990年のワールドカップに出場。
MF 7 J・ブルチャガ 1986年、1990年のワールドカップに出場。
MF 10 D・マラドーナ Ⓒ もはや説明不要の超ド級のスーパースター。
FW 4 C・ボルギ ▼74分 1986年のワールドカップに出場。1980年代から1990年代のアルゼンチンを代表するオフェンシブミッドフィルダー。
FW 11 J・ヴァルダーノ 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のアルゼンチンを代表するストライカー。レアル・マドリードの監督時代にレアルの至宝ラウールをプロデビューさせている。
MF 16 J・オラルティコエチェア △59分 1982年、1986年、1990年のワールドカップに出場。
MF 12 H・エンリケ △74分 1986年のワールドカップに出場。後年J・リーグの鳥栖フューチャーズに選手として在籍する。
監督 C・ビラルド アルゼンチンを代表する史上最高の監督の一人。1986年、1990年のワールドカップに監督として出場し、1986年は優勝に導いている。
試合結果
1986年6月5日 エスタディオ・クアウテモック(プエブラ)
イタリア 1-1 アルゼンチン
得点 A・アルトベッリ(イタリア) 6分
D・マラドーナ(アルゼンチン) 34分