ここまでの欧州予選グループ4
1986年にメキシコで開催されるワールドカップ本大会出場権を巡って行われている欧州予選グループ4は、欧州王者フランス、ユーゴスラヴィア、東ドイツ、ブルガリア、ルクセンブルクの5カ国で2つの出場枠を争うことになった。下馬評では本命フランスに対抗ユーゴスラヴィア、伏兵に東ドイツとブルガリアの様相であった。
2大会連続出場を目指すユーゴスラヴィアは、ここまで2勝1分の勝点5でまずまずのスタートを切っていた。そして序盤の大一番、ホーム・フランス戦を迎えることになった。一方、3大会連続出場を目指す欧州王者フランスは、ここまで3戦全勝の勝点6でアウェー・ユーゴスラヴィア戦に乗り込んできた。
この両国は前年のEURO1984のグループリーグでも対戦しており、その時はプラティニのハットトリックでフランスが勝利し、そのまま頂点まで昇りつめて欧州王者になっていた。
試合
試合は両チーム一進一退の攻防で進んでいった前半8分、ユーゴスラヴィアが左サイドでFKを獲得した時にトラブルが発生した。何とスタジアムが停電に襲われてしまい中断を余儀なくされてしまった。15分後にゲームは再開され前半18分、ユーゴスラヴィアが左サイドのCKの流れからシェスティッチがミドルシュートを撃ったがゴールにならなかった。
フランスは20分に左サイドでルーズボールを拾ったストピラがベロンヌにパスを出し、ベロンヌが持ち込んでシュートを撃ったがGKストイッチにセーブされてしまう。続く27分に中盤でボールをカットしたフェルナンデスがアヤッシュにボールを渡し、アヤッシュがジレスにボールを預けてユーゴスラヴィアペナルティエリア内に入り、ジレスからボールを貰ったアヤッシュがシュートを撃ったが枠を外してしまった。
前半31分、ユーゴスラヴィアが左サイドのCKからバジュダレヴィッチがバルジッチにパスを出し、バルジッチがフランスゴール前にクロスを上げハリルホジッチがバックヘッドでゴールを狙ったがアモロスがヘディングでクリアしてゴールならず。さらに37分、カウンターからザイェツが持ち上がってヴヨヴィッチにパスを出し、ヴヨヴィッチがシュートを撃ったが枠を外してゴールにはならなかった。結局前半はお互いに何度かチャンスがあったがスコアレスのまま終了し、ハーフタイムに入っていった。
後半に入るとアウェーのフランスペースで始まりストピラ、ベロンヌやFKからプラティニがシュートを浴びせていったがゴールにはならなかった。その後はお互い膠着状態に陥り、中盤での潰しあいになっていった。
膠着状態を打開するためにユーゴスラヴィアはヴヨヴィッチ、シェスティッチを下げてジュロフスキー、スリシュコヴィッチを投入してきた。しかし、試合展開を変えるまでには至らず、結局試合はスコアレスのまま0-0で終了し、お互い勝点1ずつを加えるにとどまった。
その後の両国
ユーゴスラヴィアはホームとはいえフランスと引き分けて勝点1を加え、次戦のアウェー・ルクセンブルク戦も勝利して順当に予選を消化していたが、ここからブルガリア、東ドイツ、フランスに3連敗を喫してしまい、まさかの予選敗退となり本大会出場権を逃してしまうことになった。
アウェーのユーゴスラヴィア戦を引き分けで終えた欧州王者フランスは、ここまで順当に予選を消化していたが、アウェーのブルガリア戦と東ドイツ戦を連敗してしまい本大会出場に黄信号が灯ってしまう。しかし、残るホームのルクセンブルク戦とユーゴスラヴィア戦を連勝で締めて、無事に3大会連続の本大会出場を決めることになった。
出場選手(ユーゴスラヴィア)
GK 1 R・ストイッチ
DF 2 V・チャプリッチ
DF 3 M・バルジッチ 1990年のワールドカップに出場。
DF 5 F・ハジベギッチ 1990年のワールドカップに出場。後年ボスニア・ヘルツェゴビナ代表監督に就任する。
DF 6 L・ラダノヴィッチ
MF 4 I・グデリ 1982年のワールドカップに出場。
MF 7 M・シェスティッチ ▼67分 1982年のワールドカップに出場。
MF 8 V・ザイェツ Ⓒ 1982年のワールドカップに出場。
MF 10 M・バジュダレヴィッチ 後年ボスニア・ヘルツェゴビナ代表監督に就任する。
FW 9 V・ハリルホジッチ 1982年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のユーゴスラヴィアを代表する史上最高のストライカーの一人。後年日本代表監督に就任する。
FW 11 Z・ヴヨヴィッチ ▼63分 1982年、1990年のワールドカップに出場。1970年代後半から1990年代前半のユーゴスラヴィアを代表するストライカー。元ユーゴスラヴィア代表のゾラン・ヴヨヴィッチは実弟である。
FW 15 M・ジュロフスキー △63分
MF 16 B・スリシュコヴィッチ △67分 後年ボスニア・ヘルツェゴビナ代表監督に就任する。フランスのスーパースター・ジダンが幼少期に憧れた選手の一人である。
監督 M・ミルティノヴィッチ 1950年代から1960年代のユーゴスラヴィアを代表する史上最高の選手の一人。1954、1958年のワールドカップに選手として出場。元ユーゴスラヴィア代表のミロラド・ミルティノヴィッチと、各国代表監督でワールドカップに5大会出場したボラ・ミルティノヴィッチは実弟である。
出場選手(フランス)
GK 1 J・バツ 1986年のワールドカップに出場。
DF 2 W・アヤッシュ 1986年のワールドカップに出場。
DF 3 M・アモロス 1982年、1986年のワールドカップに出場。1980年代から1990年代前半のフランスを代表するサイドバック。
DF 4 L・シュペヒト
DF 5 P・バティストン 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。
MF 6 L・フェルナンデス ▼82分 1986年のワールドカップに出場。1980年代から1990年代前半のフランスを代表するミッドフィルダー。
MF 14 J・ティガナ 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のフランスを代表する史上最高のミッドフィルダーの一人であり、欧州を代表するミッドフィルダーの一人。
MF 8 A・ジレス 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のフランスを代表するミッドフィルダー。
MF 10 M・プラティニ Ⓒ 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のフランスを代表する史上最高の選手であり、欧州を代表する史上最高の選手の一人。後年フランス代表監督に就任し、UEFA会長にも就任する。1983年、1984年、1985年にバロンドール受賞。
FW 9 Y・ストピラ ▼69分 1986年のワールドカップに出場。
FW 11 B・ベロンヌ 1982年、1986年のワールドカップに出場。
MF 7 J・トゥーレ △69分
DF 13 T・トゥソー △82分 1986年のワールドカップに出場。
監督 H・ミシェル 1978年のワールドカップに選手として出場し、1986年のワールドカップに監督として出場して3位入賞。
試合結果
1985年4月3日 コソボ・スタジアム(サラエボ)
ユーゴスラヴィア 0-0 フランス
得点 なし