ここまでのグループ1
優勝候補の筆頭で開催国のフランスは、開幕戦のデンマーク戦を1-0で競り勝ち、2戦目のベルギー戦をプラティニのハットトリックを含む5-0で大勝して最終戦のユーゴスラヴィア戦を迎えることになった。2戦目を終えて既にグループリーグ通過を決めており、このユーゴスラヴィア戦を引き分け以上で1位通過が確定することになっている。
2大会ぶりにEURO本大会に出場してきたユーゴスラヴィアは、初戦のベルギー戦を0-2で落とし、2戦目のデンマーク戦は0-5で大敗し、最終戦を前に既にグループリーグ敗退が確定しており、ここまでは不本意な本大会となってしまった。最終戦のモチベーションを上げるのは難しい状況だが、開催国を相手に一泡吹かせたいところである。
試合
試合はフランスペースで始まり4分に左サイドからシクスがセンタリングを上げ、プラティニが胸トラップからのシュートを撃ったが枠を外れてゴールにはならず。この試合ユーゴスラヴィアはプラティニのマークにはD・ストイコヴィッチがつくことになった。一進一退で進んでいった前半17分、鶏がピッチに乱入してきてドメルグ、ティガナ、プラティニ、シクスが取り囲み、最後はドメルグが捕えて鶏は退場していった。
前半31分、右サイドからプラティニが中央のジレスにパスを出し、ジレスが横パスで左のフェレーリに渡し、フェレーリがシクスとのワンツーでユーゴスラヴィアペナルティエリア内に入ってシュートを撃ったが枠を外れていった。直後の32分、ハーフェライン付近からシェスティッチがドリブルで持ち上がり、スーシッチとのワンツーからミドルシュートを撃ってフランスゴールに突き刺しユーゴスラヴィアが先制点を挙げた。
先制されたフランスは前半終了間際の43分、ティガナがユーゴスラヴィアのビルドアップをカットして右サイドに流れたシクスにパスを出し、シクスがゴール前にセンタリングを上げて競り合ったこぼれ球をジレスがノートラップボレーで狙ったが、クロスバーに直撃して同点とはならなかった。そして前半は1-0のユーゴスラヴィアリードで折り返しを迎えることになった。
後半に入り、追いかけるフランスはロシュトーを下げてトゥソーを投入してきた。52分にティガナからのスルーパスをフェルナンデスがシュートを撃ち、54分にはティガナ、フェルナンデスからプラティニのパスをフェレーリがシュートを撃ったがゴールにはならなかった。58分にもティガナからのスルーパスを受けてジレスがミドルシュートを撃ったがGKシモヴィッチがセーブしてゴールにはならず。
フランスのチャンスが続いた後半59分、右サイドからフェレーリのサイドチェンジのパスをプラティニがユーゴスラヴィアゴールに押し込んで同点に追いついた。されにその3分後の62分、右サイドからバティストンのクロスをプラティニがダイビングヘッドでゴールに押し込んでフランスが逆転に成功した。
逆転されたユーゴスラヴィアは直後の後半63分、自陣からD・ストイコヴィッチがドリブルで持ち込んでスーシッチに渡し、ラダノヴィッチがシュートを撃ったがGKバツが好セーブで防がれてゴールにはならなかった。しかし、次に得点したのもフランスで後半77分、ユーゴスラヴィアペナルティエリア外ゴール正面の位置でジレスが倒されてFKを獲得し、これをプラティニがこの試合ハットトリックとなる3点目を直接決めてフランスがさらにリードを広げた。
この得点でほぼ勝負を決めたフランスは、その後D・ストイコヴィッチにPKを決められて1点差に詰め寄られたが、試合は3-2で終了してフランスがグループリーグを3戦全勝の1位で終え、一方のユーゴスラヴィアは3戦全敗で大会を終えた。
その後の両国
優勝候補の筆頭で開催国のフランスは下馬評通りグループリーグを首位で通過して準決勝に進出した。大黒柱はもちろんエース・プラティニでチーム全得点9点の内7得点を一人で挙げている。そして準決勝のポルトガル戦を延長の末に競り勝ち、決勝でもスペインを破って、念願のEURO初優勝を達成することになった。
2大会ぶりにEURO本大会に出場してきたユーゴスラヴィアは、残念ながらグループリーグを3戦全敗の最下位で大会を終えることになった。チームが不本意な結果に終わった中で僅かな収穫としてD・ストイコヴィッチの活躍があり、弱冠19歳での出場だったが大器の片鱗を見せていた。
出場選手(フランス)
GK 1 J・バツ 1984年のEUROに出場。
DF 4 M/ボシス 1984年のEUROに出場。1970年代から1980年代のフランスを代表するディフェンダー。
DF 5 P・バティストン 1984年のEUROに出場。
DF 3 J・F・ドメルグ 1984年のEUROに出場。
DF 6 L・フェルナンデス 1984年、1992年のEUROに出場。1980年代から1990年代前半のフランスを代表するミッドフィルダー。
MF 14 J・ティガナ 1984年のEUROに出場。1970年代から1980年代のフランスを代表する史上最高のミッドフィルダーの一人であり、欧州を代表するミッドフィルダーの一人。
MF 12 Aジレス 1984年のEUROに出場。1970年代から1980年代のフランスを代表するミッドフィルダー。
MF 10 M・プラティニ Ⓒ 1984年のEUROに出場。1970年代から1980年代のフランシスを代表する史上最高の選手であり、欧州を代表する史上最高の選手の一人。後年フランス代表監督に就任し、1992年のEUROに出場。UEFA会長にも就任する。1983年、1984年、1985年にバロンドール受賞。
MF 7 J・M・フェレーリ ▼77分 1984年のEUROに出場。
FW 16 D・ロシュトー ▼46分 1984年のEUROに出場。
FW 13 D・シクス 1984年のEUROに出場。
DF 18 T・トゥソー △46分 1984年のEUROに出場。
MF 8 D・ブラボー △77分 1984年のEUROに出場。
監督 M・イダルゴ フランスを代表する史上最高の監督の一人。1984年のEUROに監督として出場し、優勝に導いている。
出場選手(ユーゴスラヴィア)
GK 1 Z・シモヴィッチ 1984年のEUROに出場。
DF 5 V・ザイェツ Ⓒ 1984年のEUROに出場。
DF 6 R・ラダノヴィッチ 1984年のEUROに出場。
DF 15 B・ミルシュ 1984年のEUROに出場。
DF 2 H・ストイコヴィッチ 1984年のEUROに出場。
MF 16 D・ストイコヴィッチ 1984年、2000年のEUROに出場。1980年代から2000年代前半のユーゴスラヴィアを代表する史上最高の選手の一人であり、欧州を代表するオフェンシブミッドフィルダーの一人。後年セルビア代表監督に就任し、2024年のEUROに出場する。後にJ・リーグの名古屋グランパスに選手と監督して在籍する。
MF 8 I・グデリ 1984年のEUROに出場。
MF 10 M・バジュダレヴィッチ ▼84分 1984年のEUROに出場。後年ボスニア・ヘルツェゴビナ代表監督に就任する。
MF 7 M・シェスティッチ 1984年のEUROに出場。
FW 9 S・P・スーシッチ 1984年のEUROに出場。1970年代から1980年代のユーゴスラヴィアを代表する史上最高の選手の一人であり、欧州を代表するオフェンシブミッドフィルダーの一人。後年ボスニア・ヘルツェゴビナ代表監督に就任する。
FW 11 Z・ヴヨヴィッチ ▼60分 1984年のEUROに出場。1970年代後半から1990年代前半のユーゴスラヴィアを代表するストライカー。元ユーゴスラヴィア代表のゾラン・ヴヨヴィッチは実弟である。
FW 18 S・デヴェリッチ △60分 1984年のEUROに出場。
MF 4 S・カタネッチ △84分 1984年のEUROに出場。1980年代から1990年前半のユーゴスラヴィアを代表する史上最高のディフェンダーの一人。後年スロヴェニア代表監督に就任し、2000年のEUROに出場。
監督 T・ヴェセリノヴィッチ 1984年のEUROに監督として出場。1950年代から1960年代のユーゴスラヴィアを代表する史上最高のストライカーの一人。
試合結果
1984年6月19日 スタッド・ジョフロワ・ギシャール(サンテティエンヌ)
フランス 3-2 ユーゴスラヴィア
得点 M・シェスティッチ(ユーゴスラヴィア) 32分
M・プラティニ(フランス) 59分
M・プラティニ(フランス) 62分
M・プラティニ(フランス) 77分
D・ストイコヴィッチ(ユーゴスラヴィア) 84分