ここまでの予選グループ7
1984年のEUROフランス大会の出場権をかけて争われる予選グループ7は、1982年のワールドカップを自国で開催しながら大した成果を収められなかったスペインと、そのワールドカップの出場を逃したオランダ、アイルランド、アイスランド、マルタの5カ国が入り、下馬評はスペインとオランダの争いとみられていた。
スペインはここまでホーム・オランダ戦の勝利を含む5勝1分の首位で快走しており、このアウェー・オランダ戦を引き分け以上で、ほぼ出場権を獲得できる状況であった。一方のオランダは、アウェー・スペイン戦の敗戦を含む4勝1敗1分の2位につけており、このホーム・スペイン戦は必勝が義務付けられていた。
試合
試合は勝利以外は予選敗退が濃厚なホームのオランダが攻め込んでいき、R・クーマン、フリットが積極的にシュートを放っていった。前半26分、右サイドでボールを受けたR・クーマンがカットインして横パスでハウトマンに渡し、そのままシュートを決めてオランダが先制点を挙げた。
先制されたスペインも反撃してチャンスを作っていくが、決定力を欠いてなかなか得点には至らずにいた。逆にオランダはホームの大歓声を背に攻め込んでいき、35分にフリットが自陣エリアからのロングフィードでE・クーマンにパスを通し、E・クーマンがシュートを撃ったがGKアルコナーダがセーブしてゴールにはならなかった。
前半38分に中央でボールを受けたR・クーマンが右サイドのワインステカースに横パスを出し、ワインステカースがミドルシュートを撃ったがスペインDFにあたって枠を外れてゴールはならなかった。すると前半41分、スペインが右サイドで獲得したCKをセニョールがオランダゴール前に上げ、サンティリャーナがヘディングで合わせてゴールに押し込んでスペインが同点に追いついた。
前半を通してほぼ主導権を握られていたスペインが、たった一発のセットプレーから同点に追いついて、前半はそのまま1-1で終了して勝負の行方は後半に持ち越すことになった。
後半に入るとスペインペースで始まり48分、右サイドからカラスコが持ち込んでガジェコに縦パスを出し、ガジェゴがシュートを撃ったがGKスフレイフェルスがセーブしてゴールはならなかった。しばらくするとオランダがまたペースを掴み52分、左サイドからファネンブルグがドリブルでカントインして、そのままミドルシュートを撃ったが惜しくも枠を外してしまった。
迎えた後半63分、フリットが自陣エリアからファネンブルグにボールを渡し、ファネンブルグが中央でキープしてフリットにパスを出し、フリットが豪快に振り抜いたミドルシュートはスペインDFにあたり、コースが変わってスペインゴールに突き刺さっていった。このゴールで再びオランダが勝ち越しに成功した。
再び追いかける展開になったスペインはフランシスコ、カラスコに代えてリンコン、マルコス・アロンソを投入して打開を図ってきたが、なかなか主導権を掴めずに一進一退の攻防が続き、時間だけが経過していった。後半33分と43分に右サイドからのFKをセニョールがオランダペナルティエリア内にクロスを上げてサンティリャーナが頭で合わせたが、いずれもGKスフレイフェルスにセーブされてゴールを割ることは出来なかった。
そして試合は2-1でオランダの勝利で終わり、予選成績はともに5勝1敗1分で並び、得失点差でオランダが首位に立った。残る試合はともにホームのマルタ戦だけになり、限りなくオランダがフランス行き近づくことになった。
その後の両国
大一番のホーム・スペイン戦を制したオランダは、最終戦のホーム・マルタ戦を5-0で順当に勝って6勝1敗1分で予選を終えた。この時点でスペインに得失点差で11点つけており、オランダの本大会出場は限りなく濃厚だった。
しかし、4日後のスペインホームのマルタ戦は後半だけで9点を奪ったスペインが12-1で大勝して、6勝1敗1分の得失点差でもオランダと並び、総得点の差でオランダを上回ってスペインが逆転で1位になり、本大会出場権を獲得することになった。
このスペインーマルタ戦は当然論争の的となり、UEFAは次回大会以降から予選の最終戦は同日同時刻に開催することを決めた。また同順位になった場合の優先順位を得失点差から直接対決の結果にすることになった。
出場選手(オランダ)
GK 1 P・スフレイフェルス 1976年、1980年のEUROに出場。
DF 3 E・オフォフ
DF 4 P・ボーヴェ
DF 7 R・フリット 1988年、1992年のEUROに出場。1980年代から1990年代のオランダを代表する史上最高の選手の一人であり、欧州を代表する史上最高の選手の一人。1987年にバロンドール受賞。
MF 2 E・クーマン 1988年のEUROに出場。現オランダ代表監督ロナルド・クーマンは実弟である。
MF 5 B・ワインステカース Ⓒ 1980年のEUROに出場。
MF 6 R・クーマン 1988年、1992年のEUROに出場。1980年代から1990年代のオランダを代表する史上最高のディフェンダーであり、欧州を代表するディフェンダーの一人。現オランダ代表監督。元オランダ代表のエルウィン・クーマンは実兄である。
MF 8 W・ファン・デ・ケルクホフ 1976年、1980年のEUROに出場。元オランダ代表のレネ・ファン・デ・ケルクホフは実弟であり、アンドレ・オーイェルは義理の息子である。
FW 9 P・ハウトマン
FW 10 G・ファネンブルグ 1988年のEUROに出場。後年J・リーグのジュピロ磐田に選手として在籍する。
FW 11 B・ブロッケン
監督 C・ライバース
出場選手(スペイン)
GK 1 L・アルコナーダ Ⓒ 1980年、1984年のEUROに出場。1970年代から1980年代のスペインを代表する史上最高のゴールキーパーの一人。
DF 2 テンテ・サンチェス
DF 3 J・A・カマーチョ 1984年、1988年のEUROに出場。1970年代から1980年代のスペインを代表する左サイドバック。後年スペイン代表監督に就任し、2000年のEUROに監督として出場。
DF 4 A・マセダ 1984年のEUROに出場。
DF 5 A・ゴイコエチェア 1984年のEUROに出場。マラドーナを骨折させた選手。
MF 6 R・ゴルディージョ 1980年、1984年、1988年のEUROに出場。
MF 7 F・J・カラスコ ▼83分 1980年、1984年のEUROに出場。
MF 8 フランシスコ ▼67分 1984年のEUROに出場。
MF 10 R・ガジェゴ 1984年、1988年のEUROに出場。
FW 9 サンティリャーナ 1980年、1984年のEUROに出場。1970年代から1980年代のスペインを代表する史上最高のストライカーの一人。
FW 11 J・セニョール 1984年のEUROに出場。
FW 16 H・リンコン △67分
FW 15 M・アロンソ △83分 1984年のEUROに出場。スペイン代表のマルコス・アロンソは息子である。
監督 M・ムニョス スペインを代表する史上最高の監督の一人。1984年、1988年のEUROに監督として出場し、1984年は準優勝に導いている。
試合結果
1983年11月16日 デ・カイプ(ロッテルダム)
オランダ 2-1 スペイン
得点 P・ハウトマン(オランダ) 26分
サンティリャーナ(スペイン) 41分
R・フリット(オランダ) 63分