両国の勝ち上がり状況
3大会連出場のポーランドは1次リーグ・グループ1に入り、1勝2分の1位で1次リーグを通過して2次リーグに進出した。2次リーグではグループAに入り、ベルギーに勝利してソ連とは引き分けたものの得失点差で上回って2次リーグを突破し、準決勝に進出してきた。
イタリアはポーランドと同じく1次リーグ・グループ1に入り、3戦3分の2位で1次リーグを通過して2次リーグに進出した。2次リーグではグループCに入り、ディフェンディングチャンピオンのアルゼンチンと優勝候補の筆頭ブラジルと同組の最激戦区を連勝して、2次リーグを突破し準決勝に進出してきた。
こうしてポーランドとイタリアによる準決勝のカードは1次リーグの再戦となり、その時はスコアレスの引き分けに終わっていた。
試合
両国は準決勝を前にそれぞれ攻守のキーマンが累積警告で出場停止となっており、ポーランドはエース・ボニエク、イタリアはジェンティーレがこの試合に出場できなかった。試合はキックオフからしばらくしてイタリアがボールをキープしてペースを握って13分にタルデリ、18分にロッシからのパスをグラツィアーニがそれぞれミドルシュートを撃ったがゴールにはならなかった。
そして前半22分にイタリアが右サイドでFKを獲得し、アントニョーニがポーランドゴール前にクロスを上げ、ロッシが足で合わせてゴールに転がりイタリアが先制点を挙げた。先制されたポーランドは27分にチョウェク、クプチェヴィチが立て続けにミドルシュートを撃ったがゴールにはならず、イタリアは29分にマリーニ、33分にカブリーニがそれぞれミドルシュートを撃ったが枠を外れてしまった。
両チームともディフェンスが固くペナルティエリア内ではチャンスを作れず、ミドルシュートの応酬となっていった。前半34分にポーランドがペナルティエリア外やや左寄りの位置のFKをクプチェヴィチが狙ったが、ポストを弾いてしまい惜しくも同点とはならなかった。そして前半はこのまま1-0で終了し、イタリアリードでハーフタイムに入っていった。
後半に入ってもお互いにディフェンスは固く、ファウルも増えていき、それはポーランドの方により多くなっていった。そして膠着状態が続いていった後半73分、イタリアがカウンターからアルトベッリが持ち込んで左のコンティにパスを出し、コンティがポーランドゴール前にクロスを入れるとロッシが頭でゴールに押し込んで、イタリアが3人の攻撃で待望の追加点を挙げた。
この日のイタリアには2点あれば十分で試合は2-0のまま終了して、イタリアが12年ぶりの決勝進出を決めた。冒頭で触れた出場停止の選手はポーランドの方にダメージは大きく、攻撃の起点でもあり得点源でもあったエース・ボニエクの不在は、そのエースを抑える役目のジェンティーレが不在のイタリアよりも影響が大きかった。
その後の両国
惜しくも決勝進出を逃したポーランドは、3位決定戦でフランスを破り2大会ぶりの3位入賞で大会を終えた。今大会で大活躍したボニエクに2大会前の3位入賞メンバーのラトー、ズムダ等のベテランが要所を締め、カウンター戦法でバランスの良いチームに仕上げていた。
大会前の下馬評はそれほど高くなかったイタリアは、大会が進むに連れて、ぐんぐんと調子を上げていき、遂には決勝までたどり着いた。決勝では有史以来、欧州サッカーをともにリードしてきた西ドイツを破って通算3回目の優勝を達成することになった。
出場選手(ポーランド)
GK 1 J・ムイナルチク 1982年、1986年のワールドカップに出場。
DF 2 M・ジウバ 1982年のワールドカップに出場。
DF 9 V・ズムダ Ⓒ 1974年、1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のポーランドを代表するディフェンダー。
DF 5 P・ヤナス 1982年のワールドカップに出場。後年ポーランド代表監督に就任し、2006年のワールドカップに監督として出場。
DF 10 S・マジェフスキー 1982年、1986年のワールドカップに出場。
MF 3 クプチェヴィチ 1978年、1982年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のポーランドを代表する史上最高のプレーメーカーの一人。
MF 15 W・チョウェク ▼46分 1982年のワールドカップに出場。
MF 8 W・マティシク 1982年、1986年のワールドカップに出場。
MF 13 A・ブンコル 1982年、1986年のワールドカップに出場。
FW 16 G・ラトー 1974年、1978年、1982年のワールドカップに出場し、1974年は得点王。1960年代後半から1980年代前半のポーランドを代表する史上最高のウインガー。
FW 11 W・スモラレク ▼77分 1982年、1986年のワールドカップに出場。元ポーランド代表のエウゼビウス・スモラレクは息子である。
MF 14 A・パワシュ △46分 1982年、1986年のワールドカップに出場。
MF 18 M・クスト △77分 1974年、1978年、1982年のワールドカップに出場。
監督 A・ピエチニチェク ポーランド代表を代表する名将の一人。1982年、1986年のワールドカップに監督として出場し、1982年は3位入賞。
出場選手(イタリア)
GK 1 D・ゾフ Ⓒ 1974年、1978年、1982年のワールドカップに出場。1960年代から1980年代前半のイタリアを代表する史上最高のゴールキーパーであり、欧州を代表する史上最高のゴールキーパーの一人。後年イタリア代表監督に就任する。
DF 3 G・ベルゴミ 1982年、1986年、1990年、1998年のワールドカップに出場。1980年代から1990年代のイタリアを代表する史上最高のディフェンダーの一人であり、欧州を代表するディフェンダーの一人。
DF 7 G・シレア 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のイタリアを代表する史上最高の選手の一人であり、欧州を代表する史上最高の選手の一人。
DF 5 F・コロヴァティ 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代後半から1980年代のイタリアを代表する史上最高のディフェンダーの一人であり、欧州を代表するディフェンダーの一人。
DF 4 A・カブリーニ 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のイタリアを代表する史上最高の左サイドバックであり、欧州を代表する史上最高の左サイドバックの一人。
MF 13 G・オリアーリ 1982年のワールドカップに出場。
MF 9 G・アントニョーニ ▼28分 1978年、1982年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のイタリアを代表する史上最高のファンタジスタの一人であり、欧州を代表するファンタジスタの一人。
MF 14 M・タルデリ 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のイタリアを代表する史上最高の選手の一人であり、欧州を代表するディフェンシブミッドフィルダーの一人。
FW 16 B・コンティ 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のイタリアを代表する史上最高のウイングの一人であり、欧州を代表するウインガーの一人。
FW 20 P・ロッシ 1978年、1982年のワールドカップに出場し、1982年は得点王。1970年代後半から1980年代のイタリアを代表する史上最高のストライカーの一人であり、欧州を代表するストライカーの一人。1982年にバロンドール受賞。
FW 19 F・グラツィアーニ ▼70分 1978年、1982年のワールドカップに出場。
MF 11 G・マリーニ △28分 1982年のワールドカップに出場。
FW 18 A・アルトベッリ △70分 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のイタリアを代表するストライカー。
監督 E・ベアルツォット イタリアを代表する史上最高の監督の一人。1978年、1982年、1986年のワールドカップに監督として出場し、1982年は優勝に導いている。
試合結果
1982年7月8日 カンプ・ノウ(バルセロナ)
ポーランド 0-2 イタリア
得点 P・ロッシ(イタリア) 22分
P・ロッシ(イタリア) 73分