両国の勝ち上がり状況
イタリアは1次リーグ・グループ1に入り、3戦3引き分けと際どく2位で通過して2次リーグに進出してきた。何しろ同グループのカメルーンとは同じ3引き分けで、総得点の差でかろうじての1次リーグ突破であった。そして2次リーグの初戦でディフェンディングチャンピオンのアルゼンチンを破り、今大会初勝利を挙げて2次リーグ最終戦のブラジル戦を迎えることになった。
3大会ぶりの優勝を目指す優勝候補の筆頭ブラジルは1次リーグ・グループ6に入り、3戦全勝の1位で通過して2次リーグに進出してきた。そして2次リーグの第2戦でディフェンディングチャンピオンであり永遠のライバル・アルゼンチンに3-1で快勝して、2次リーグ最終戦のイタリア戦を迎えることになった。
ともにディフェンディングチャンピオンのアルゼンチンを破り、準決勝進出をかけた両国の対戦は、得失点の差でイタリアは勝利以外は準決勝進出の可能性はなく、ブラジルは引き分け以上で準決勝に進出できる状況であった。
試合
試合は開始早々の5分、右サイドでボールキープしたコンティがカブリーニにサイドチェンジのパスを出し、カブリーニのクロスに反応したロッシが頭でブラジルゴールに押し込みイタリアが先制点を挙げた。
思わぬ先制パンチを貰ったブラジルは12分、スローインからボールを受けたソクラテスがジーコにボールを預けてイタリアゴールに向かって駆け上がり、ジーコから再びボールを貰ってそのままゴールに蹴り込み、すかさずブラジルが同点に追いついた。
このままブラジルペースになるかと思われた25分、T・セレーゾが自陣エリアで出した横パスをロッシがカットして、そのまま持ち込んでブラジルゴールに突き刺してイタリアが再び勝ち越しに成功した。ブラジルにとっては自陣エリアからのミスで痛恨の失点となってしまった。
再びリードを許したブラジルは、華麗なパス回しで猛攻を仕掛けるがイタリアディフェンスも踏ん張り、特にジーコにはジェンティーレがユニホームを引き破るほどの激しいマークについていた。そして前半は2-1のまま終了してイタリアリードで折り返しを迎えることになった。
後半に入ると構図はより明確になり、ブラジルの猛攻をイタリアディフェンスが凌いでカウンターを仕掛けていき、ファルカン、ジーコ、レアンドロが次々とシュートを浴びせるが、GKゾフを中心としたイタリアディフェンスの壁の前になかなか得点を奪えずにいた。しかし、後半68分に左サイドからジュニオールがファルカンにパスを通し、ファルカンがカットインしてミドルシュート放つと、名手ゾフもこれには及ばずイタリアゴールに突き刺さり、ブラジルが再び同点に追いついた。
再び同点に追いつかれ勝ち抜けの為に得点が必要になったイタリアは、後半74分に右サイドのCKをコンティが上げ、ルーズボールにいち早く反応したタルデリがそのままシュートを放ち、このシュートをロッシがワンタッチでコースを変えてブラジルゴールに押し込み、イタリアが3度目のリードを奪った。
ロッシのハットトリックで3度目のリードを許したブラジルは、その後再三の猛攻を仕掛けるが、遂にゴールを割ることが出来ず、このまま3-2でイタリアが逃げ切って勝利し、優勝候補の筆頭ブラジルはまさかの敗退となった。
その後の両国
優勝候補の筆頭ブラジルをロッシのハットトリックで破り2次リーグを突破したイタリアは、準決勝で1次リーグでも対戦したポーランドを2-0で下し、決勝でも西ドイツを3-1で下して通算3回目の優勝を果たすことになった。
優勝候補の筆頭ブラジルは、常に追いかける展開になってしまい終始イタリアペースとなってしまった。特に2失点目をしてからは焦りもあっただろうが、いつもの華麗なパスワークはあまり見られず、やや強引な攻撃になってしまった。いずれにしても優勝候補の筆頭ブラジルの敗退は、今大会終盤のハイライトとなり優勝の行方は混沌となっていった。
この試合の後世の評価
この試合は歴代ワールドカップの名勝負で必ずランクインする伝説の試合の一つであり、40年以上たった今でも語り継がれている。この大会で披露したブラジルの華麗なサッカーは、歴代最高のチームとして記憶に刻まれている。また、その最高チームをたった一人で粉砕したロッシの活躍も深く記憶に刻まれることになった。そしてこの試合はブラジルマスコミによって「サリアの悲劇」と名付けられることになった。
出場選手(イタリア)
GK 1 D・ゾフ Ⓒ 1974年、1978年、1982年のワールドカップに出場。1960年代から1980年代前半のイタリアを代表する史上最高のゴールキーパーであり、欧州を代表する史上最高のゴールキーパーの一人。後年イタリア代表監督に就任する。
DF 4 A・カブリーニ 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のイタリアを代表する史上最高の左サイドバックであり、欧州を代表する史上最高の左サイドバックの一人。
DF 5 F・コロヴァティ ▼34分 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代後半から1980年代のイタリアを代表する史上最高のディフェンダーの一人であり、欧州を代表するディフェンダーの一人。
DF 6 C・ジェンティーレ 1978年、1982年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のイタリアを代表する史上最高のディフェンダーの一人であり、欧州を代表するディフェンダーの一人。
DF 7 G・シレア 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のイタリアを代表する史上最高の選手であり、欧州を代表する史上最高の選手の一人。
MF 9 G・アントニョーニ 1978年、1982年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のイタリアを代表する史上最高のファンタジスタの一人であり、欧州を代表するファンタジスタの一人。
MF 13 G・オリアーリ 1982年のワールドカップに出場。
MF 14 M・タルデリ ▼75分 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のイタリアを代表する史上最高の選手の一人であり、欧州を代表するディフェンシブミッドフィルダーの一人。
MF 16 B・コンティ 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のイタリアを代表する史上最高のウインガーの一人であり、欧州を代表するウインガーの一人。
FW 19 F・グラツィアーニ 1978年、1982年のワールドカップに出場。
FW 20 P・ロッシ 1978年、1982年のワールドカップに出場し、1982年は得点王。1970年代後半から1980年代のイタリアを代表する史上最高のストライカーの一人であり、欧州を代表するストライカーの一人。1982年にバロンドール受賞。
DF 3 G・ベルゴミ △34分 1982年、1986年、1990年、1998年のワールドカップに出場。1980年代から1990年代のイタリアを代表する史上最高のディフェンダーの一人であり、欧州を代表するディフェンダーの一人。
MF 11 G・マリーニ △75分 1982年のワールドカップに出場。
監督 E・ベアルツォット イタリアを代表する史上最高の監督の一人。1978年、1982年、1986年のワールドカップに監督として出場し、1982年は優勝に導いている。
出場選手(ブラジル)
GK 1 W・ペレス 1982年のワールドカップに出場。
DF 2 レアンドロ 1982年のワールドカップに出場。1970年代後半から1980年代のブラジルを代表する史上最高のディフェンダーの一人。
DF 3 J・オスカー 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のブラジルを代表するディフェンダー。後年J・リーグの京都パープルサンガに監督として在籍する。
DF 4 ルイジーニョ 1982年のワールドカップに出場。
DF 6 ジュニオール 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のブラジルを代表する左サイドバック。
MF 5 T・セレーゾ 1978年、1982年のワールドカップに出場。1970年代から1990年代前半のブラジルを代表する史上最高のディフェンシブミッドフィルダーの一人であり、南米を代表する史上最高のディフェンシブミッドフィルダーの一人。後年J・リーグの鹿島アントラーズに監督として在籍する。
MF 8 ソクラテス Ⓒ 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のブラジルを代表する史上最高のオフェンシブミッドフィルダーの一人。元ブラジル代表キャプテン・ライーは実弟である。
MF 10 ジーコ 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のブラジルを代表する史上最高の選手の一人であり、南米を代表する史上最高の選手の一人。後年J・リーグの鹿島アントラーズに選手として在籍し、日本代表監督に就任して2006年のワールドカップに出場。元ブラジル代表監督のエドゥは実兄である。
MF 11 エデル 1982年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のブラジルを代表するシャドウストライカー。
MF 15 ファルカン 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のブラジルを代表する史上最高の選手の一人であり、南米を代表する史上最高の選手の一人。後年ブラジル代表監督と日本代表監督に就任する。
FW 9 セルジーニョ ▼69分 1982年のワールドカップに出場。
MF 7 P・イジドーロ △69分 1982年のワールドカップに出場。
監督 T・サンターナ ブラジルを代表する史上最高の監督の一人。1982年、1986年のワールドカップに監督として出場。
試合結果
1982年7月5日 サリア(バルセロナ)
イタリア 3-2 ブラジル
得点 P・ロッシ(イタリア) 5分
ソクラテス(ブラジル) 12分
P・ロッシ(イタリア) 25分
ファルカン(ブラジル) 68分
P・ロッシ(イタリア) 74分