両国の対戦前状況
2000年のEUROの予選の組み合わせ抽選の後、この両国が同組になったのは何とも言えない感じがした。政治に奔走された両国がEURO本選出場をかけて争うことになったのは、激動の1990年代のヨーロッパの時代の流れだったのか…。クロアチアホームのこの対戦は予選最終戦に組み込まれており、ユーゴスラヴィアホームの時はスコアレスのドローに終わっていた。
この予選8組は、ユーゴスラヴィアとクロアチア、それにアイルランドが出場権を巡って激しく争っていた。1位が本大会出場権を獲得し、2位はプレーオフに回ることになっていて、まずは上位2位までに入ることが求められていた。最終戦前の勝点は、ユーゴスラヴィアが16点の1位、アイルランドが15点の2位、クロアチアが14点の3位となっていた。ユーゴスラヴィアは勝てば文句なしの首位通過で、引き分けても2位以上が確定する。一方、クロアチアは勝利以外は予選敗退であった。
試合
試合は開始2分、ユーゴスラヴィア陣内でマッチアップしたアサノヴィッチの肘がミルコヴィッチの顔に当たり、両軍入り乱れての荒れ模様で始まった。立ち上がりはホームのクロアチアペースで進んでいき、前半16分右サイドでボールをキープしたボクシチが、裏を駆け抜けたアサノヴィッチにヒールでパスを通し、アサノヴィッチが折り返したところをスーケルが頭で合わせてゴールを割るが、審判の判定はノーゴールとなり幻の先制点となった。この時代にゴールラインテクノロジーなどはなく、スローで見返すと際どいがゴールラインは割ってるようだった。
そして20分、中央でボールを受けたスーケルがオフサイドラインを上手く抜け出したボクシチにスルーパスを通し、これをゴールに蹴り込みクロアチアが先制点を挙げた。その後もクロアチアペースで進んでいたが、25分にユーゴスラヴィアが左サイドでFKを獲得した。これを名手ミハイロヴィッチがゴール前にクロスを上げ、ミヤトヴィッチが頭で合わせてすかさず同点に追いついた。
さらに31分、ユーゴスラヴィアがほぼ同じ位置でFKを獲得した。これを再び名手ミハイロヴィッチがゴール前にクロスを上げると、今度はスタンコヴィッチが頭で合わせてゴールに押し込み、ユーゴスラヴィアが逆転した。
FKから思わぬ連続失点をしたクロアチアはホームの大歓声を背に攻め込んでいく。すると41分に、ヤルニにファウルを受けたミルコヴィッチが、近寄ってきたヤルニに挑発されて手を出してしまい一発レッドカードの退場となってしまう。これでユーゴスラヴィアは残り50分を10人で戦うことを強いられてしまった。そして前半は2-1でアウェーのユーゴスラヴィアがリードで終了した。
後半立ち上がりの47分、クロアチアが自陣からパスを繋いで攻め込み、左サイドに流れたボクシチがゴール前に折り返すと、スタニッチが頭で押し込み同点に追いついた。後半始まってすぐに追いついたクロアチアは1人多いこともあり勢いにのるかと思われたが、意外にも攻めあぐねてしまい膠着状態が続き時間だけが過ぎていった。
後半も70分を過ぎたあたりからは、前半から飛ばしすぎたのか、両チームともミスとファウルが増えていき消耗戦の様相を呈してきた。勝利以外は予選突破の目がないクロアチアが攻め込みたいところだが、あまりチャンスも作れないままタイムアップを迎えてしまった。
結局試合は2-2のドローで終わり両チームに勝点1ずつが加わった。同時刻で行われていたマケドニアーアイルランド戦も1-1のドローだっため、3チームとも勝点1を加えるにとどまり、差は変わらず1位のユーゴスラヴィアが本大会出場権を獲得し、2位のアイルランドがプレーオフに回り、3位のクロアチアが予選敗退となった。
その後両国
両国の因縁は今更言わずもがな、スタジアムではユーゴスラヴィア選手たちに憎しみにも似た罵声、怒号が飛び交っていたが、両選手たちは至って冷静だった。ベテラン選手達にとってはかつて苦楽を共にした戦友であり、リスペクトし合ってるようだった。強いて言えば、退場になったミルコヴィッチだけは少々感情的だったか…。
さて、1位通過したユーゴスラヴィアは、本大会ではグループリーグを突破して準々決勝に進出したが、開催国のオランダに1-6の大敗を喫してベスト8で敗退している。
クロアチアは2年前の1998年ワールドカップでは3位になっており、予選突破は確実視されていたが、3強の争いに敗れて予選敗退となった。ブラセヴィッチ監督は留任したが、2002年日韓ワールドカップ欧州予選が始まって間もなく辞任した。新監督にヨジッチが就任し、2002年の日韓ワールドカップ本大会出場権獲得に向けて始動していく。
出場選手(クロアチア)
GK 1 D・ラディッチ 1996年のEUROに出場。
DF 3 R・ヤルニ 1996年のEUROに出場。1980年代後半から1990年代のクロアチアを代表する左サイドバック。
DF 4 Z・ソルド 1996年のEUROに出場。
DF 5 G・ユリッチ 後にJ・リーグの横浜F・マリノスに選手として在籍。
DF 10 R・コバッチ ▼61分 2004年、2008年のEUROに出場。
MF 2 A・ルカビナ
MF 6 I・トゥドール ▼82分 2004年のEUROに出場
MF 7 A・アサノヴィッチ 1996年のEUROに出場。1980年代後半から1990年代のクロアチアを代表するミッドフィルダー。
MF 8 M・スタニッチ 1996年のEUROに出場。1980年代後半から2000年代前半のクロアチアを代表するオフェンシブミッドフィルダー。
FW 9 D・スーケル Ⓒ 1996年のEUROに出場。1980年代後半から2000年代前半のクロアチアを代表するストライカー。
FW 11 A・ボクシチ ▼76分 1996年のEUROに出場。1980年代後半から2000年代前半のクロアチアを代表するアタッカー。
DF 16 E・ビスチャン △61分
FW 18 J・シミッチ △76分
MF 17 M・ラパイッチ △82分 2004年のEUROに出場。
監督 M・ブラセヴィッチ クロアチア史上最高の監督。1996年のEUROに監督として出場。
出場選手(ユーゴスラヴィア)
GK 1 I・クラリ 2000年のEUROに出場。
DF 2 Z・ミルコヴィッチ
DF 3 G・ジョロヴィッチ 2000年のEUROに出場。
DF 4 S・ヨカノヴィッチ 2000年のEUROに出場。
DF 5 M・ジューキッチ 2000年のEUROに出場。後にセルビア代表監督に就任。
MF 6 D・スタンコヴィッチ 2000年のEUROに出場。1990年代後半から2010年代前半のユーゴスラヴィアを代表するミッドフィルダー。
MF 7 A・ナジ ▼57分 2000年のEUROに出場。
MF 10 D・ストイコヴィッチ Ⓒ ▼54分 1984年、2000年のEUROに出場。1980年代から1990年代のユーゴスラヴィアを代表する史上最高の選手の一人。現セルビア代表監督で2024年のEURO本体会出場を決めている。J・リーグの名古屋グランパスに選手として在籍していた。
MF 11 S・ミハイロヴィッチ 2000年のEUROに出場。1980年代後半から2000年代前半のユーゴスラヴィアを代表する名リベロ。後にセルビア代表監督に就任。ACミランの監督時代に現イタリア代表GKドンナルマをプロデビューさせている。
FW 8 P・ミヤトヴィッチ ▼75分 2000年のEUROに出場。1980年代後半から2000年代前半のユーゴスラヴィアを代表するストライカー。
FW 9 S・ミロセヴィッチ 2000年のEUROに出場。1990年代から2000年代のユーゴスラヴィアを代表するフォワード。
DF 13 D・ボリッチ △54分
FW 16 L・ドルロヴィッチ △57分
MF 17 D・サビチェヴィッチ △75分 1980年代から1990年代のユーゴスラヴィアを代表するファンタジスタ。後にユーゴスラヴィア代表監督に就任。
監督 V・ボスコフ ユーゴスラヴィアを代表する名将の一人。2000年のEUROに監督として出場。
試合結果
クロアチア 2-2 ユーゴスラヴィア
得点 A・ボクシチ(クロアチア) 20分
P・ミヤトヴィッチ(ユーゴスラヴィア) 25分
D・スタンコヴィッチ(ユーゴスラヴィア) 31分
M・スタニッチ(クロアチア) 47分