両国の勝ち上がり
オランダはグループEに入り、1勝2分の1位で通過し、決勝トーナメント1回戦では試合終了間際のダヴィッツのゴールでユーゴスラヴィアを2-1で下して、2大会連続の準々決勝に進出してきた。
アルゼンチンはグループHに入り(この時の初戦はワールドカップ初出場の日本だった)、3戦全勝で1位通過し、決勝トーナメント1回戦ではイングランドを延長PK戦の末に競り勝ち準々決勝に進出してきた。
試合
試合は立ち上がりからアグレッシブな展開になり、4分にコクのシュートのはね返りをヨンクがさらにシュートを放つが、惜しくもポストに跳ね返されてしまう。そして12分、R・デ・ブールが中央を突破してゴール前のベルカンプにパスを出し、ベルカンプが頭で落としたボールをクライファートがゴールに押し込み、オランダが先制点を挙げた。
しかし17分、アルゼンチンもすぐに反撃し、ベロンが出したスルーパスにオフサイドラインを抜け出したC・ロペスが反応して、GKファン・デル・サールと一対一になり、股間を通してゴールに押し込み同点に追いついた。
その後も一進一退の攻防が続き、オランダはダヴィッツ、ヨンクが惜しいミドルシュートを撃てば、アルゼンチンもオルテガが強烈なミドルシュートを見舞い、GKファン・デル・サールがファインセーブで防ぐなどお互いに追加点はならず、前半は1-1で終了した。
後半に入るとオランダが前線からプレスを仕掛けていき、アルゼンチンはボールを前に運べなくなっていった。主導権はオランダが握っていき、チャンスを構築していった。しかし、63分アルゼンチンが一瞬の隙をついて、カウンターからベロンがバティストゥータにパスを通し、バティストゥータがシュートを撃ったがポストに弾かれてゴールはならず。
ヒヤリとしたオランダはその直後に交代出場したオーフェルマルスが右サイドを突破してゴール前に折り返し、クライファートがヘディングシュートを撃ったが、GKロアがパンチングで防いでゴールはならなかった。そしてオランダペースのまま経過していった後半76分にピンチが訪れた。アルゼンチン陣内のルーズボールからシメオネがカウンターを仕掛けようとしたところにヌマンがシメオネにチャージにいったが、このプレーに主審がこの日2枚目のイエローカードを提示し、レッドカードで退場処分になってしまった。
10人になったオランダは少し引いて守るようになり、アルゼンチンがボールをキープするが、決勝トーナメント1回戦のイングランド戦同様1人多いにもかかわらず攻めあぐねてしまう。すると後半86分、オルテガがドリブルでペナルティエリア内に侵入してシュミレーションのダイブをしてしまう。これにGKファン・デル・サールが詰め寄ると、オルテガが挑発にのってしまい頭突きを喰らわすと、シュミレーションのイエローカードを出していた主審がレッドカードも提示して、オルテガは退場処分になってしまった。
10人対10人になったオランダは息を吹き返し、迎えた試合終了間際の89分、F・デ・ブールが自陣エリアからのロングフィードをベルカンプが完璧なトラップから、見事なボールコントロールでアヤラをかわしてゴールに蹴り込み、オランダが劇的な勝ち越しゴールを挙げた。試合はこのまま2-1で終了し、オランダがディフェンディングチャンピオン・ブラジルが待つ準決勝に進出した。
その後の両国
オランダは準決勝で、前回大会準々決勝の再戦となるディフェンディングチャンピオンのブラジルと対戦し、延長PK戦の末に敗れて決勝進出はならなかった。オランダにとって痛かったのは、今大会左サイドで破壊的な威力を発揮していたヌマン(出場停止)とオーフェルマルス(怪我)の、よりにもよって一番重要なブラジル戦を出場出来ずに欠場したことだった。大会後にヒディンク監督は退任し、新監督には往年の名選手F・ライカールトが就任した。ライカールト新監督の元、2000年の自国開催のEUROに向けて始動することになる。
今大会のアルゼンチンは、それまでの約15年間アルゼンチン代表の中盤に君臨した稀代のスーパースター・マラドーナが抜けての初めての大会だった。パサレラ監督が思い切って若返りを図り、世代交代をして臨んだ今大会はそれなりの成果を示すことが出来た。このチームが真価を発揮するのは、4年後の2002年日韓大会だろうと思われていた・・・のだが。
出場選手(オランダ)
GK 1 E・ファン・デル・サール 1998年、2006年のワルードカップに出場。1990年代から2010年代前半のオランダを代表する史上最高のゴールキーパー。
DF 2 M・ライツィハー 1998年のワルードカップに出場。1990年代から2000年代前半のオランダを代表するディフェンダー。
DF 3 J・スタム 1998年のワルードカップに出場。1990年代から2000年代のオランダを代表する名ディフェンダー。
DF 4 F・デ・ブール Ⓒ 1994年、1998年のワルードカップに出場。1990年代から2000年代前半のオランダを代表する名ディフェンダー。後にオランダ代表監督に就任。
DF 5 A・ヌマン 1994年、1998年のワルードカップに出場。
MF 6 W・ヨンク 1994年、1998年のワルードカップに出場。
MF 16 E・ダヴィッツ 1998年のワルードカップに出場。1990年代から2000年代のオランダを代表するミッドフィルダー。
MF 7 R・デ・ブール ▼64分 1994年、1998年のワルードカップに出場。
MF 11 F・コク 1998年、2006年のワルードカップに出場。1990年代から2000年代のオランダを代表するユーティリティープレーヤー。
FW 8 D・ベルカンプ 1994年、1998年のワルードカップに出場。1990年代から2000年代前半のオランダを代表するスタープレイヤー。
FW 9 P・クライファート 1998年のワルードカップに出場。1990年代から2000年代のオランダを代表するストライカー。
FW 14 M・オーフェルマルス △64分 1994年、1998年のワルードカップに出場。1990年代から2000年代前半のオランダを代表する名ウインガー。
監督 G・ヒディンク オランダを代表する名将の一人。1998年のワルードカップにオランダ代表監督として出場し、ベスト4に導いている。
出場選手(アルゼンチン)
GK 1 C・ロア 1998年のワルードカップに出場。
DF 22 J・サネッティ 1998年、2002年のワルードカップに出場。1990年代から2010年代前半のアルゼンチンを代表する左サイドバック。
DF 2 R・アヤラ 1998年、2002年、2006年のワルードカップに出場。1990年代から2000年代のアルゼンチンを代表するセンターバック。
DF 3 J・チャモ ▼89分 1994年、1998年、2002年のワルードカップに出場。
DF 6 R・センシーニ 1990年、1994年、1998年のワルードカップに出場。
MF 5 M・アルメイダ ▼68分 1998年、2002年のワルードカップに出場。1990年代から2000年代のアルゼンチンを代表するディフェンシブミッドフィルダー。
MF 8 D・シメオネ Ⓒ 1994年、1998年、2002年のワルードカップに出場。1990年代から2000年代前半のアルゼンチンを代表するオールラウンドミッドフィルダー。2011年にアトレティコ・マドリードの監督に就任し、現在に至るまで長期政権を築いている。
MF 11 J・ベロン 1998年、2002年、2010年のワルードカップに出場。1990年代後半から2010年代前半のアルゼンチンを代表するゲームメーカー。
MF 10 A・オルテガ 1994年、1998年、2002年のワルードカップに出場。1990年代から2000年代のアルゼンチンを代表するシャドウストライカー。
FW 7 C・ロペス 1998年、2002年のワルードカップに出場。1990年代から2000年代のアルゼンチンを代表するストライカー。
FW 9 G・バティストゥータ 1994年、1998年、2002年のワルードカップに出場。1990年代から2000年代前半のアルゼンチンを代表する史上最高のストライカーの一人。
DF 4 M・ピネダ △68分 1998年のワルードカップに出場。
FW 19 A・バルボ △89分 1990年、1994年、1998年のワルードカップに出場。
監督 D・パサレラ 1970年代から1980年代のアルゼンチンを代表する名リベロ。1978年、1982年のワルードカップに選手として出場し、1978年はキャプテンとして優勝に貢献。1998年のワルードカップに監督として出場。
試合結果
オランダ 2-1 アルゼンチン
得点 P・クライファート(オランダ) 12分
C・ロペス(アルゼンチン) 17分
D・ベルカンプ(オランダ) 89分