両国の欧州予選
EURO1984でベスト4に進出しワールドカップ本大会には実に20年ぶりに出場してきたポルトガルは、欧州予選でグループ2に入り、西ドイツ、チェコスロヴァキア、スウェーデン、マルタの強豪国が同居したグループ2を5勝3敗の2位で通過し、西ドイツとともに本大会に出場してきた。
2大会連続で出場してきたサッカーの母国イングランドは欧州予選でグループ3に入り、北アイルランド、ルーマニア、トルコ、フィンランドと同組になり、順調に勝点を積み上げて最終戦を残して通過を決め、同じ英国勢の北アイルランドとともに本大会に出場してきた。
そして両国はポーランドとモロッコとグループFに入り、初戦で対戦することになった。
試合
試合は中盤での攻防が続いていき、お互いにペナルティエリアまでたどり着けずに時間が経過していった。前半11分、イングランドが右サイドからスティーブンスがクロスを上げ、ロブソンがヘディングで合わせたがGKベントが防いでゴールにはならず。25分には右サイドからのFKをホドルがポルトガルゴール前に上げたがヘイトリーには合わなかった。
ポルトガルは前半34分、ハーフェラインからパチェコがドリブルで持ち込んでカルロス・マヌエルに渡し、カルロス・マヌエルがゴメスとワンツーでボールを受けてシュートを撃ったが、クロスバーを超えてゴールにはならず。その後はお互いに決定機を作れずにスコアレスのままハーフタイムに入っていった。
後半に入るとイングランドがペースを握って攻め込んでいき後半46分、カウンターから左サイドをドリブルで持ち込んだワドルがポルトガルゴール前に折り返し、リネカーが飛び込んだが合わせられずにゴールならず。50分には右サイドからのFKをホドルがクロスを上げ、ロブソンが頭で合わせたが枠を外れてゴールにならなかった。
さらに後半52分、ブッチャーがハーフェライン付近からのロングフィードのパスをリネカーに通し、リネカーがGKベントをかわしてシュートを撃ったがオリヴェイラが間一髪のクリアでゴールにならなかった。
すると後半75分、イングランドは一瞬の隙をつかれ左サイドからディアマンティーノがサンソムをかわしてイングランドペナルティエリア内に迫り、低いクロスを出してカルロス・マヌエルがゴールに押し込みポルトガルが先制点を挙げた。
追い込まれたイングランドは残り時間、ロングボールからのパワープレーで攻撃を仕掛けるがポルトガルディフェンスも踏ん張り、結局試合は1-0のままポルトガルが逃げ切り、20年ぶりの本大会を白星でスタートすることになった。一方、敗れたイングランドは黒星スタートとなり、残る2戦は負けられない状況になってしまった。
その後の両国
初戦でイングランドを破り絶好のスタートをきったポルトガルは、残る2戦ポーランド戦とモロッコ戦で連敗を喫してしまい、まさかのグループリーグ敗退となってしまう。後にサルティーヨ事件と呼ばれる影響によりチームは空中分解してしまい、試合に集中して臨める状態では全くなかった。そしてこの事件の影響はその後も色濃く残り、ポルトガル代表は長く国際舞台から遠ざかることになっていくのである。
初戦黒星スタートとなったイングランドは、第2戦のモロッコ戦もスコアレスのドローに終わりグループリーグ敗退の危機に迫ったが、最終戦のポーランド戦をリネカーのハットトリックで下して、かろうじてグループリーグを2位で通過した。決勝トーナメント1回戦ではパラグアイを3-0で下して準々決勝まで進出したが、準々決勝のアルゼンチン戦はマラドーナの活躍により1-2で敗れてベスト8で大会を去ることになった。
出場選手(ポルトガル)
GK 1 M・ベント Ⓒ 1986年のワールドカップに出場。1970年代から1990年代前半のポルトガルを代表するゴールキーパー。
DF 5 アルバロ 1986年のワールドカップに出場。
DF 8 フレデリコ 1986年のワールドカップに出場。
DF 15 A・オリヴェイラ 1986年のワールドカップに出場。
DF 20 アウグスト・イナシオ 1986年のワールドカップに出場。
MF 17 ディアマンティーノ ▼82分 1986年のワールドカップに出場。
MF 21 A・アンドレ 1986年のワールドカップに出場。
MF 7 J・パチェコ 1986年のワールドカップに出場。
MF 3 A・ソウザ 1986年のワールドカップに出場。
MF 6 カルロス・マヌエル 1986年のワールドカップに出場。
FW 9 F・ゴメス ▼73分 1986年のワールドカップに出場。
MF 10 P・フットレ △73分 1986年のワールドカップに出場。1980年代から1990年代のポルトガルを代表するドリブラー。後年横浜フリューゲルスに選手として在籍する。
DF 16 J・アントニオ △82分 1986年のワールドカップに出場。
監督 J・トーレス 1960年代から1970年代のポルトガルを代表するストライカー。1966年のワールドカップに選手として出場して3位入賞に貢献し、1986年のワールドカップに監督として出場。
出場選手(イングランド)
GK 1 P・シルトン 1982年、1986年、1990年のワールドカップに出場。1970年代から1990年代前半のイングランドを代表する史上最高のゴールキーパーの一人であり、欧州を代表する史上最高のゴールキーパーの一人。
DF 2 G・M・スティーブンス 1986年、1990年のワールドカップに出場。
DF 14 T・フェンウィック 1986年のワールドカップに出場。
DF 6 T・ブッチャー 1982年、1986年、1990年のワールドカップに出場。
DF 3 K・サンソム 1982年、1986年のワールドカップに出場。
MF 4 G・ホドル 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代後半から1990年代前半のイングランドを代表する史上最高のミッドフィルダーの一人であり、欧州を代表するミッドフィルダーの一人。後年イングランド代表監督に就任し、1998年のワールドカップに監督として出場。
MF 8 R・ウィルキンス 1982年、1986年のワールドカップに出場。
MF 7 B・ロブソン Ⓒ ▼80分 1982年、1986年、1990年のワールドカップに出場。1970年代後半から1990年代前半のイングランドを代表するミッドフィルダー。
MF 11 C・ワドル ▼80分 1986年、1990年のワールドカップに出場。1980年代から1990年代のイングランドを代表するオフェンシブミッドフィルダー。
FW 10 G・リネカー 1986年、1990年のワールドカップに出場し、1986年は得点王。1980年代から1990年代前半のイングランドを代表するストライカー。後年J・リーグの名古屋グランパスに選手として在籍する。
FW 9 M・ヘイトリー 1986年のワールドカップに出場。
MF 18 S・ホッジ △80分 1986年、1990年のワールドカップに出場。
FW 20 P・ビアズリー △80分 1986年、1990年のワールドカップに出場。1980年代から1990年代のイングランドを代表するセカンドストライカー。
監督 B・ロブソン イングランドを代表する史上最高の監督の一人。1986年、1990年のワールドカップに監督として出場し、1990年は4位入賞。後年ポルトガルのスポルティング・リスボンの監督時代の通訳が、のちに世界的名将となるJ・モウリーニョである。
試合結果
1986年6月3日 エスタディオ・テクノロジコ(モンテレー)
ポルトガル 1-0 イングランド
得点 カルロス・マヌエル(ポルトガル) 75分