両国の1次リーグ
ディフェンディングチャンピオンのアルゼンチンは1次リーグ・グループ3に入り、今大会の開幕戦となったベルギー戦を落とし黒星スタートとなった。残る2戦は新星マラドーナの活躍もあり、連勝して2勝1敗の2位で1次リーグを通過して2次リーグに進出してきた。
3大会ぶりの優勝を目指す優勝候補の筆頭ブラジルは1次リーグ・グループ6に入り、3戦全勝の1位で通過して2次リーグに進出してきた。その強さの魅力はジーコ、ソクラテス、ファルカン、T・セレーゾの黄金の中盤にあり、1次リーグでは華麗なパスワークを存分に発揮していた。
こうして2次リーグのグループCは、この南米の2カ国とイタリアの3カ国で準決勝進出を争う最激戦区のグループとなった。そして初戦でイタリアとアルゼンチンが対戦してイタリアが勝利を挙げていた。後がなくなったディフェンディングチャンピオンのアルゼンチンは、第2戦で宿敵ブラジルと対戦することになり、このカードは3大会連続の対戦となった。
試合
試合は負けられないアルゼンチンが攻め込んでいき、2分に左サイドを突破したケンペスがセンタリングを上げ、ガルバンが頭で合わせたが枠を外してしまう。その後もアルゼンチンがボールをキープしていったが、前半11分にブラジルがアルゼンチンゴールから35m付近のFKを獲得した。これをジュニオールが左足で豪快に振り抜き、クロスバーを直撃してこぼれ球をジーコが詰めてゴールに押し込みブラジルが先制点を挙げた。
それからしばらくの間は両チーム一進一退の膠着状態に陥り、時間だけが経過していったが30分を過ぎたあたりからブラジルがチャンスを掴んでいった。前半33分に右サイドからレアンドロがアルゼンチンペナルティエリア内にクロスを上げ、ファルカンがワントラップシュートを撃ったが枠を外してしまう。37分には右サイドからファルカンが浮き球のパスを出し、これをジーコがシュートを撃ったがまたも枠を外れていった。
その後もファルカン、ジーコがシュートを放ってブラジルがペースを掴んでいき、一方のアルゼンチンは43分にCKからパサレラがヘディングシュートを撃ったぐらいだった。そして前半は1-0のままブラジルリードで折り返しを迎えることになった。
後半に入るとアルゼンチンはケンペスを下げてディアスを投入して打開を図ってきて、48分にディアスがマラドーナにボールを預けてペナルティエリア内に走り込み、マラドーナからのパスをシュートしたがゴールにはならず。51分にはマラドーナが右サイドからドリブルでペナルティエリア内に入ってジュニオールに倒されたがPKにはならなかった。
なかなかゴールを割れないアルゼンチンを尻目に後半66分、中央でボールを受けたジーコが右サイドに流れたファルカンにスルーパスを出し、ファルカンがゴール前に上げたクロスをセルジーニョがヘディングでアルゼンチンゴールに押し込み、ブラジルが追加点を挙げた。
さらに後半74分、再び中央でボールを受けたジーコがジュニオールにスルーパスを通し、ジュニオールがアルゼンチンゴールに突き刺してダメ押しの3点目を挙げて、ほぼ試合を決定づけた。その後85分にはマラドーナがバティスタに飛び蹴りを喰らわせて一発レッドカードの退場処分になった。
試合終了間際にディアスが意地のゴールを挙げてアルゼンチンが1点を返したが、大勢に影響はなく試合はこのまま3-1で終了し、ブラジルが2次リーグの初戦を白星で飾った。
その後の両国
イタリア戦とブラジル戦に連敗して2次リーグ敗退となったディフェンディングチャンピオンのアルゼンチンは、大会前の下馬評では4年前の優勝メンバーをほぼ揃え、新星マラドーナを加えて優勝候補の一角に連ねていたが、不本意な出来で大会を去ることになった。注目のマラドーナは、最後は退場で終わってしまい初のワールドカップはほろ苦いデビューとなってしまった。
永遠のライバルでありディフェンディングチャンピオンのアルゼンチンを下した優勝候補の筆頭ブラジルは、2次リーグ最終戦のイタリア戦でロッシにハットトリックを喰らってしまい、まさかの敗北を喫して大会に別れを告げることになった。その試合は歴代ワールドカップの名勝負の一つとして多くの人々の記憶に刻まれることになった。
出場選手(アルゼンチン)
GK 7 U・フィジョール 1974年、1978年、1982年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のアルゼンチンを代表する史上最高のゴールキーパー。
DF 15 D・パサレラ Ⓒ 1978年、1982年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のアルゼンチンを代表する史上最高の選手の一人であり、南米を代表する史上最高の選手の一人。後年アルゼンチン代表監督に就任し、1998年のワールドカップに出場。
DF 14 J・オルギン 1978年、1982年のワールドカップに出場。後年J・リーグのアビスパ福岡に監督として在籍する。
DF 8 L・ガルバン 1978年、1982年のワールドカップに出場。
DF 18 A・タランティーニ 1978年、1982年のワールドカップに出場。
MF 1 O・アルディレス 1978年、1982年のワールドカップに出場。後年J・リーグの清水エスパルス、横浜F・マリノス、東京ヴェルディに監督として在籍する。
MF 3 J・バルバス 1982年のワールドカップに出場。
MF 11 M・ケンペス ▼46分 1974年、1978年、1982年のワールドカップに出場し、1978年は得点王。1970年代から1980年代のアルゼンチンを代表するストライカーであり、南米を代表するストライカーの一人。
MF 5 G・カルデロン 1982年、1990年のワールドカップに出場。
MF 10 D・マラドーナ もはや説明不要の超ド級のスーパースター。
FW 4 D・ベルトーニ ▼64分 1978年、1982年のワールドカップに出場。
FW 6 R・ディアス △46分 1982年のワールドカップに出場。1970年代後半から1990年代前半のアルゼンチンを代表するストライカー。後年J・リーグの横浜マリノスに選手として在籍し、J・リーグ初代の得点王。
FW 17 S・サンタマリア △64分 1982年のワールドカップに出場。
監督 C・L・メノッティ アルゼンチンを代表する史上最高の監督。1978年、1982年のワールドカップに監督として出場し、1978年は優勝に導いている。
出場選手(ブラジル)
GK 1 W・ペレス 1982年のワールドカップに出場。
DF 3 J・オスカー 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のブラジルを代表するディフェンダー。後年J・リーグの京都パープルサンガに監督として在籍する。
DF 2 レアンドロ ▼82分 1982年のワールドカップに出場。1970年代後半から1980年代のブラジルを代表する史上最高のディフェンダーの一人。
DF 4 ルイジーニョ 1982年のワールドカップに出場。
DF 6 ジュニオール 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のブラジルを代表する左サイドバック。
MF 5 T・セレーゾ 1978年、1982年のワールドカップに出場。1970年代から1990年代前半のブラジルを代表する史上最高のディフェンシブミッドフィルダーの一人であり、南米を代表するディフェンシブミッドフィルダーの一人。後年J・リーグの鹿島アントラーズに監督として在籍する。
MF 15 ファルカン 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のブラジルを代表する史上最高の選手の一人であり、南米を代表する史上最高の選手の一人。後年ブラジル代表監督と日本代表監督に就任する。
MF 8 ソクラテス Ⓒ 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のブラジルを代表する史上最高のオフェンシブミッドフィルダーの一人。元ブラジル代表キャプテン・ライーは実弟である。
MF 10 ジーコ ▼83分 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のブラジルを代表する史上最高の選手の一人であり、南米を代表する史上最高の選手の一人。後年J・リーグの鹿島アントラーズに選手として在籍し、日本代表監督に就任して2006年のワールドカップに出場。元ブラジル代表監督のエドゥは実兄である。
FW 9 セルジーニョ 1982年のワールドカップに出場。
FW 11 エデル 1982年のワールドカップに出場。1970年代後半から1980年代のブラジルを代表するシャドウストライカー。
DF 13 エデヴァルド △82分 1982年のワールドカップに出場。
MF 18 バティスタ △83分 1978年、1982年のワールドカップに出場。
監督 T・サンターナ ブラジルを代表する史上最高の監督の一人。1982年、1986年のワールドカップに監督として出場。
試合結果
1982年7月2日 サリア(バルセロナ)
アルゼンチン 1-3 ブラジル
得点 ジーコ(ブラジル) 11分
セルジーニョ(ブラジル) 66分
ジュニオール(ブラジル) 75分
R・ディアス(アルゼンチン) 89分