両国の1次リーグ
3大会連続出場のポーランドは1次リーグ・グループ1に入り、初戦のイタリア戦と第2戦のカメルーン戦をともにスコアレスのドローで終え、最終戦のペルー戦を5-1と大勝して、1勝2分の首位でグループ1を通過してきた。
EURO1980準優勝のベルギーは1次リーグ・グループ3に入り、今大会の開幕戦となった初戦のディフェンディングチャンピオン・アルゼンチン戦を1-0の金星を挙げてスタートし、第2戦のエルサルバドルを1-0、最終戦のハンガリー戦を1-1で、2勝1分の首位でグループ3を通過してきた。
そして両国とソ連を加えた3カ国で2次リーグのグループAに入り、初戦で激突することになった。
試合
試合は開始早々の4分、右サイドをドリブルで突破したラトーが折り返し、走り込んできたボニエクが豪快に振り抜いて、クロスバーを直撃してベルギーゴールに転がり込んでいき、ポーランドがあっさりと先制点を挙げた。続く5分に右サイドのラトーからスモラレクを経由して、クプチェヴィチがミドルシュートを撃ったが枠を外れてしまった。
そして前半26分、右サイドからクプチェヴィチがサイドチェンジのクロスを上げ、折り返したボールをボニエクが前目のポジションにいたGKカスターズの頭上を越すヘディングでゴールに放り込み、ポーランドが追加点を挙げた。
思わぬ早い時間帯に連続失点を喫したベルギーは攻撃に重心を置き、CKからクーレマンス、チェルニアチンスキーがそれぞれシュートを撃ったがゴールにはならなかった。逆にポーランドがカウンターを仕掛けて度々ベルギーゴールに襲い掛かっていき、43分にカウンターからマティシクが左サイドを駆け上がってスモラレクにパスを出し、スモラレクがそのまま撃ったシュートはポストを直撃してゴールにはならなかった。
ヒヤリとしたベルギーだったが、結局前半は終始ポーランドペースで経過していき、2-0のままポーランドリードでハーフタイムに入っていった。
後半に入るとベルギーがヴァン・ムーアを下げて、ファン・デル・エルストを投入して打開を図ってきた。しかし後半53分にポーランドがカウンターを仕掛け、ボニエクが右サイドからサイドチェンジのパスをスモラレクに出し、スモラレクがドリブルでカットインしてラトーに渡し、ラトーがペナルティエリア内に走り込んできたボニエクにスルーパスを出し、GKカスターズもかわしてゴールに押し込み、ボニエクのハットトリックとなる3点目を挙げてベルギーをさらに突き放していった。
この3失点目はベルギーにとってダメージは大きく、事実上勝負の行方は決した感があった。69分にはヴァンデンベルグのボレーシュートがクロスバーにあたるなど運にも見放され、試合は3-0のまま終了してポーランドが2次リーグ初戦を白星で飾った。
その後の両国
2次リーグ初戦を勝利したポーランドは、最終戦のソ連戦はスコアレスの0-0で引き分けたが、得失点差で上回り準決勝に進出した。準決勝の相手は1次リーグでも対戦したイタリアとなり、2次リーグでディフェンディングチャンピオンのアルゼンチン、優勝候補の筆頭ブラジルを破って調子を上げてきたイタリアに対し、ボニエクが累積警告で出場停止となったポーランドは0-2で敗れて決勝進出とはならなかった。
2次リーグ初戦を落としたベルギーは、第2戦のソ連戦も敗れて連敗となり2次リーグ敗退となった。しかし、今大会は開幕戦でディフェンディングチャンピオンのアルゼンチンを破り、同国史上初の1次リーグを突破した大会となった。引き続きG・タイス監督が指揮を執り、2年後のEUROフランス大会出場に向けて予選に臨んでいくことになる。
出場選手(ポーランド)
GK 1 J・ムイナルチク 1982年、1986年のワールドカップに出場。
DF 2 M・ジウバ 1982年のワールドカップに出場。
DF 5 P・ヤナス 1982年のワールドカップに出場。後年ポーランド代表監督に就任し、2006年のワールドカップに監督として出場。
DF 9 V・ズムダ Ⓒ 1974年、1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のポーランドを代表するディフェンダー。
DF 10 S・マジェフスキー 1982年、1986年のワールドカップに出場。
MF 3 J・クプチェヴィチ ▼82分 1978年、1982年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のポーランドを代表する史上最高のプレーメーカーの一人。
MF 8 W・マティシク 1982年、1986年のワールドカップに出場。
MF 13 A・ブンコル 1982年、1986年のワールドカップに出場。
MF 20 Z・ボニエク 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のポーランドを代表する史上最高の選手の一人であり、欧州を代表する史上最高の選手の一人。後年ポーランド代表監督に就任する。
FW 16 G・ラトー 1974年、1978年、1982年のワールドカップに出場し、1974年は得点王。1960年代後半から1980年代前半のポーランドを代表する史上最高のウインガー。
FW 11 W・スモラレク 1982年、1986年のワールドカップに出場。元ポーランド代表のエウゼビウス・スモラレクは息子である。
MF 15 W・チョウェク △82分 1982年のワールドカップに出場。
監督 A・ピエチニチェク ポーランドを代表する名将の一人。1982年、1986年のワールドカップに監督として出場し、1982年は3位入賞。
出場選手(ベルギー)
GK 12 T・カスターズ 1982年のワールドカップに出場。
DF 4 W・ミューズ Ⓒ 1982年のワールドカップに出場。後年ベルギー代表監督に就任する。
DF 5 M・レンカン 1982年、1986年のワールドカップに出場。
DF 3 L・ミルカンプ 1982年のワールドカップに出場。
DF 16 J・プレサーズ ▼87分 1982年のワールドカップに出場。
MF 8 W・ヴァン・ムーア ▼46分 1970年、1982年のワールドカップに出場。1960年代から1980年代前半のベルギーを代表する史上最高の選手の一人。後年ベルギー代表監督に就任する。
MF 6 F・ヴェルコーテレン 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のベルギーを代表するウインガー。後年ベルギー代表監督に就任する。
MF 10 L・コック 1982年のワールドカップに出場。
MF 11 J・クーレマンス 1982年、1986年、1990年のワールドカップに出場。1970年代から1990年代前半のベルギーを代表する史上最高の選手の一人。
FW 9 E・ヴァンデンベルグ 1982年、1986年のワールドカップに出場。
FW 21 A・チェルニアチンスキー 1982年、1994年のワールドカップに出場。
FW 13 F・ファン・デル・エルスト △46分 1982年のワールドカップに出場。元ベルギー代表のレオ・ファン・デル・エルストは実弟である。
DF 14 M・ベッケ △87分 1982年のワールドカップに出場。
監督 G・タイス ベルギーを代表する史上最高の監督。1982年、1986年、1990年のワールドカップに監督として出場し、1986年は4位入賞。
試合結果
1982年6月28日 カンプ・ノウ(バルセロナ)
ポーランド 3-0 ベルギー
得点 Z・ボニエク(ポーランド) 4分
Z・ボニエク(ポーランド) 26分
Z・ボニエク(ポーランド) 53分