両国の勝ち上がり状況
欧州王者西ドイツは1次リーグ・グループ2に入り、2勝1敗で3カ国が並んだが得失点差で1位になって2次リーグに進出した。2次リーグではグループBに入り、イングランドと開催国のスペインと同組になって1勝1分で乗り切り、2次リーグを突破して準決勝に進出してきた。
2大会連続出場のフランスは1次リーグ・グループ4に入り、1勝1敗1分の2位で通過して2次リーグに進出した。2次リーグではグループDに入り、北アイルランドとオーストリアと同組になり、2連勝で2次リーグを突破して準決勝に進出してきた。
こうして西ドイツとフランスが準決勝で激突し、西ドイツが勝てば2大会ぶりの決勝進出となり、フランスが勝てば初の決勝進出となる。
試合
試合は西ドイツペースで始まっていきカルツ、ドレムラー、リトバルスキーが次々とシュートを放っていった。そして前半17分、中央でボールを受けたブライトナーがドリブルで持ち込んでフィッシャーにスルーパスを出し、フィッシャーがGKエットーリと交錯してこぼれたボールをリトバルスキーがフランスゴールに蹴り込んで西ドイツが先制点を挙げた。
先制されたフランスは反撃に転じ前半27分にFKを獲得して、ジレスが西ドイツペナルティエリア内に浮き球のボールを放り込んだ時、B・フェルスターがロシュトーを体ごと抱え込んでしまいフランスがPKを獲得した。これをプラティニが落ち着いて決めてフランスが同点に追いついた。
その後は一進一退の攻防が続いていき40分にフランスがカウンターからプラティニがシュートを撃ったが枠を外し、前半アディショナルタイムには西ドイツがB・フェルスターからのクロスをリトバルスキーがヘディングシュートを撃ったがGKエットーリがセーブしてゴールならず。そして前半は1-1のまま終了してハーフタイムに入っていった。
後半に入るとフランスがペースを握り53分に左サイドからプラティニがカットインしてシュートを撃ったが枠を外してしまった。そして後半56分、プラティニがハーフェライン付近右サイドからロングパスを送り、交代出場で入ったバティストンが反応して飛び出してシュートを撃ったが枠を外してしまう。が、シュートを撃ち終わった直後にGKシューマッハーと衝突してしまい、バティストンは意識を失うほどの重傷を負ってしまった。
治療のためにゲームは中断し、フランスはわずか6分前に交代出場で投入したバティストンの代わりに2枚目の交代枠を使うことを余儀なくされてしまった。そして衝突した当事者のシューマッハーには、レッドカードはおろかイエローカードも出ることはなかった。
4分間の中断の後ゲームは再開され、フランスが変わらず攻め込んでいったが決定力に欠いてゴールを割るまでには至らず、後半78分に中央でボールを受けたブライトナーがブリーゲルにスルーパスを出し、ブリーゲルがシュートを撃ったがGKエットーリが防いでゴールにはならなかった。続く80分に右サイドからのセンタリングにフィッシャーが飛び込むが合わず、さらに流れたボールにフリーのリトバルスキーがシュートを狙うが空振りに終わった。
後半アディショナルタイムにアモロスがミドルシュートを撃ったがクロスバーを直撃してゴールならず。その1分後にフランスのビルドアップを途中カットしたブライトナーが、そのまま持ち込んでシュートを撃ったがGKエットーリに防がれ、こぼれ球にフィッシャーが飛び込んだがゴールにはならなかった。ここで前後半90分が終了して1-1のまま、勝負の行方は延長戦へと持ち込まれていった。
延長に入り早々の92分、フランスが右サイド奥からのFKをジレスが上げてトレゾールがノートラップボレーで西ドイツゴールに叩き込んでフランスがついに勝ち越し点を挙げた。ここから試合は激しく動いていき延長前半98分、西ドイツペナルティエリア内でプラティニ、ロシュトーと繋いで最後はジレスが西ドイツゴールに突き刺して、フランスが3-1としてリードをさらに広げた。
後がなくなった西ドイツは猛攻を仕掛けていき、直後の延長前半99分にドレムラーからのクロスをフィッシャーがヘディングでゴールを割ったが、無情にもオフサイドの判定でゴール無効となる。しかし3分後の102分、中盤でボールを繋いで左サイドのリトバルスキーにパスを通し、リトバルスキーがゴール前に折り返したところを途中出場のエース・ルンメニゲが、フランスゴールに押し込んで追撃の1点を返して延長前半を終了した。
迎えた延長後半立ち上がりの108分、再び左サイドからリトバルスキーがフランスゴール前にクロスを上げ、ルベッシュが頭で折り返したボールをフィッシャーがオーバーヘッドキックでゴールに突き刺して、西ドイツが驚異の粘りで同点に追いついた。そして試合は3-3のまま延長でも決着がつかず、ワールドカップ史上初のPK戦まで縺れることになった。
結局PK戦は西ドイツがシュティーリケは外したが、フランスがシクスとボシスの2人が外してしまい、壮絶な死闘は西ドイツに軍配が上がり、イタリアが待つ決勝に進出を決めることになった。
その後の両国
壮絶な死闘を制した欧州王者西ドイツは、2大会ぶりに決勝に進出を決めた。決勝の相手は有史以来、欧州サッカーをともにリードしてきたイタリアとなったが、惜しくも敗れてしまい準優勝に終わった。かつて西ドイツだけが達成しているEUROとワールドカップの連覇に挑んだが、惜しくも連覇とはならなかった。
初の決勝進出まで後一歩のところで涙を呑んだフランスは、今大会ブラジルの黄金の中盤と並んで、プラティニ、ジレス、ティガナが奏でた銀の中盤は今大会大いに盛り上げることになった。そしてこの銀の中盤を中心に2年後の自国開催のEUROの優勝に向けて始動していくことになる。
この試合の後世の評価
この試合は歴代ワールドカップの名勝負でも1、2位を争うほどの伝説の試合の一つであり、屈指の名勝負として40年以上たった今でも語り継がれている。今大会のフランスの銀の中盤による華麗なパスワークは大いに魅了し、西ドイツの粘り・執念・勝負強さには誰もが驚愕を覚えた。そしてこの試合を両国は「セビリアの夜」といわれ、多くの人々記憶に刻まれることになった。
余談だが、ワールドカップ史上初のPK戦に勝利した西ドイツは、その後もこの試合を含めてPK戦が4試合あるが、全てに勝利しておりPK戦に強い強豪国として認知されている。
出場選手(西ドイツ)
GK 1 H・シューマッハー 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代の西ドイツを代表する史上最高のゴールキーパーであり、欧州を代表するゴールキーパーの一人。
DF 15 U・シュティーリケ 1982年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代の西ドイツを代表するミッドフィルダーであり、欧州を代表するミッドフィルダーの一人。
DF 4 K・H・フェルスター 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代後半から1980年代の西ドイツを代表する史上最高のストッパーの一人であり、欧州を代表するストッパーの一人。元西ドイツ代表ベルント・フェルスターは実兄である。
DF 5 B・フェルスター 1982年のワールドカップに出場。元西ドイツ代表のカール・ハインツ・フェルスターは実弟である。
DF 20 M・カルツ Ⓒ 1978年、1982年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代の西ドイツを代表する右サイドバック。
DF 2 H・P・ブリーゲル ▼97分 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代の西ドイツを代表するディフェンダー。
MF 6 W・ドレムラー 1982年のワールドカップに出場。
MF 3 P・ブライトナー 1974年、1982年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代前半の西ドイツを代表する史上最高のミッドフィルダーの一人であり、欧州を代表するミッドフィルダーの一人。
MF 7 P・リトバルスキー 1982年、1986年、1990年のワールドカップに出場。1980年代から1990年代の西ドイツを代表するドリブラー。後年J・リーグのジェフ市原に選手として在籍し、アビスパ福岡に監督として在籍する。
MF 14 W・F・マガト ▼73分 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代の西ドイツを代表するゲームメーカー。
FW 8 K・フィッシャー 1978年、1982年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代の西ドイツを代表するストライカー。
FW 9 H・ルベッシュ △73分 1982年のワールドカップに出場。
FW 11 K・H・ルンメニゲ △97分 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代の西ドイツを代表する史上最高の選手の一人であり、欧州を代表する史上最高の選手の一人。1980年、1981年にバロンドール受賞。J・リーグの浦和レッズでプレーしたミヒャエル・ルンメニゲは実弟である。
監督 J・デアヴァル 西ドイツを代表する名将の一人。1982年のワールドカップに監督として出場し、準優勝に導いている。
出場選手(フランス)
GK 22 J・L・エットーリ 1982年のワールドカップに出場。
DF 2 M・アモロス 1982年、1986年のワールドカップに出場。1980年代から1990年代前半のフランスを代表するサイドバック。
DF 5 G・ジャンヴィオン 1978年、1982年のワールドカップに出場。
DF 8 M・トレゾール 1978年、1982年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代前半のフランスを代表するディフェンダー。
DF 4 M・ボシス 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のフランスを代表するディフェンダー。
MF 14 J・ティガナ 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のフランスを代表する史上最高のミッドフィルダーの一人であり、欧州を代表するミッドフィルダーの一人。
MF 12 A・ジレス 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のフランスを代表するミッドフィルダー。
MF 10 M・プラティニ Ⓒ 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のフランスを代表する史上最高の選手であり、欧州を代表する史上最高の選手の一人。後年フランス代表監督に就任し、UEFA会長にも就任する。1983年、1984年、1985年にバロンドール受賞。
MF 9 B・ジャンジニ ▼50分 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代後半から1980年代のフランスを代表するセンターハーフ。
FW 18 D・ロシュトー 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。
FW 19 D・シクス 1978年、1982年のワールドカップに出場。
DF 3 P・バティストン △50分 ▼60分 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。
DF 6 C・ロペス △60分 1978年、1982年のワールドカップに出場。
監督 M・イダルゴ フランスを代表する史上最高の監督の一人。1978年、1982年のワールドカップに監督として出場し、1982年は4位入賞。
試合結果
1982年7月8日 ラモン・サンチェス・ピスフアン(セビリア)
西ドイツ 3-3(PK5-4) フランス
得点 P・リトバルスキー(西ドイツ) 17分
M・プラティニ(フランス) 27分
M・トレゾール(フランス) 92分
A・ジレス(フランス) 98分
K・H・ルンメニゲ(西ドイツ) 102分
K・フィッシャー(西ドイツ) 108分