両国の勝ち上がり状況
12年ぶりに決勝に進出し、実に44年ぶりの優勝に王手をかけたイタリアは、1次リーグ・グループ1に入って3戦3分の2位で通過して2次リーグに進出した。2次リーグではディフェンディングチャンピオンのアルゼンチンと優勝候補の筆頭ブラジルと同組の最激戦区を連勝して準決勝に進出した。準決勝は1次リーグの再戦となったポーランド戦を2-0で下して決勝に進出してきた。
2大会ぶりの優勝に王手をかけ、EUROとワールドカップの連覇にも王手をかけた欧州王者西ドイツは、1次リーグ・グループ2に入って1位で通過して2次リーグに進出した。2次リーグではイングランドと開催国のスペインと同組となり、1勝1分で乗り切り準決勝に進出した。準決勝のフランス戦は歴史的名勝負となり、激闘の末にフランスを下して決勝に進出してきた。
こうして決勝のカードは欧州サッカーをリードしてきたイタリアと西ドイツの対戦となり、勝った方がブラジルと並んで通算3回目の優勝ということになる。
試合
試合は西ドイツペースで始まり早々の1分、左サイドを突破したリトバルスキーがフィッシャーに縦パスを出し、フィッシャーが折り返したパスをリトバルスキーがシュートを撃ったが勢いがなくGKゾフがなんなくキャッチした。前半4分に左サイドからブライトナーがクロスを上げ、フィッシャーが頭でそらしてルンメニゲがシュートを撃ったが枠を外れてしまった。
西ドイツペースでなかなかペースを掴めないイタリアは、7分にグラツィアーニが故障してしまい、代わってアルトベッリが入ることになり早々に交代枠を一つ使うことになった。前半19分、中央からK・H・フェルスターが右サイドに流れたルンメニゲにパスを通し、ルンメニゲが折り返したボールにフィッシャーが飛び込んで合わせたが、イタリアDFにクリアされてしまう。
押され気味だったイタリアは前半24分、左サイドからアルトベッリが西ドイツペナルティエリア内にクロスを上げた時、コンティをブリーゲルが倒してしまい、イタリアがPKを獲得して先制のチャンスを迎えた。しかし、このPKをキッカー・カブリーニが右に外してしまい、イタリアは先制点のチャンスを逃してしまった。そして前半はスコアレスのまま終了して優勝の行方は後半に縺れることになった。
後半も西ドイツペースで進んでいった後半57分、FKを獲得したイタリアはタルデリが直ぐに始めて右サイドのジェンティーレに渡し、ジェンティーレが西ドイツゴール前にクロスを上げてロッシが頭で合わせてゴールに押し込みイタリアが先制点を挙げた。
さらに後半69分、イタリアがカウンターからシレアが持ち上がり、西ドイツペナルティエリア内でロッシ、シレア、ベルゴミ、シレアと繋いで最後はタルデリにパスを出し、タルデリが左足で西ドイツゴールに蹴り込んで待望の追加点を挙げた。
2点差にされた西ドイツは猛攻を仕掛けて前掛かりになっていき、迎えた後半81分に再びイタリアがカウンターからコンティが右サイドから持ち上がり、ペナルティエリア内でアルトベッリにパスを出し、アルトベッリがGKシューマッハーもかわして西ドイツゴールに押し込んで、優勝を手繰り寄せるダメ押しの3点目を挙げた。
その後西ドイツはブライトナーが意地のゴールを挙げたが、イタリアが3-1のまま逃げ切って試合は終了し、44年ぶり通算3回目の優勝を決めた。
優勝国イタリア
大会前の下馬評はそれほど高くはなかったが、大会が進むに連れて調子を上げていき、ディフェンディングチャンピオンのアルゼンチンに優勝候補の筆頭ブラジル、そして欧州王者の西ドイツを破って文句なしの優勝を決めた。優勝の立役者となったロッシはブラジル戦でハットトリックを達成し、準決勝のポーランド戦でも2ゴール、決勝では流れを引き寄せる先制点を挙げて大会得点王となり、同年のバロンドールも受賞した。
また決勝で2点目を挙げた直後のタルデリのガッツポーズは、今大会のイタリア優勝を象徴するワールドカップの名シーンの一つとして記憶に刻まれている。
準優勝国西ドイツ
2年前のEUROを制して欧州王者として大会に臨んだ西ドイツは、優勝候補の一角に名を連ねていた。優勝すれば自国が1972年のEUROと1974年のワールドカップの連覇を達成したのに続き、2度目のEURO、ワールドカップの連覇となるはずだった。
今大会の西ドイツには多くのドラマがあり、初戦のアルジェリア戦をまさかの黒星でスタートし、オーストリア戦は「ヒホンの恥」といわれる悪名高い試合を演じてしまう。かと思えば、準決勝のフランス戦はワールドカップ史上でも1、2位といわれるほどの屈指の名勝負となった。決勝ではライバル・イタリアの前に屈してしまったが、準優勝は見事な成績だった。
出場選手(イタリア)
GK 1 D・ゾフ Ⓒ 1974年、1978年、1982年のワールドカップに出場。1960年代から1980年代前半のイタリアを代表する史上最高のゴールキーパーであり、欧州を代表する史上最高のゴールキーパーの一人。後年イタリア代表監督に就任する。
DF 7 G・シレア 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のイタリアを代表する史上最高の選手の一人であり、欧州を代表する史上最高の選手の一人。
DF 6 C・ジェンティーレ 1978年、1982年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のイタリアを代表する史上最高のディフェンダーの一人であり、欧州を代表するディフェンダーの一人。
DF 5 F・コロヴァティ 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代後半から1980年代のイタリアを代表する史上最高のディフェンダーの一人であり、欧州を代表するディフェンダーの一人。
DF 3 G・ベルゴミ 1982年、1986年、1990年、1998年のワールドカップに出場。1980年代から1990年代のイタリアを代表する史上最高のディフェンダーの一人であり、欧州を代表するディフェンダーの一人。
DF 4 A・カブリーニ 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のイタリアを代表する史上最高の左サイドバックであり、欧州を代表する史上最高の左サイドバックの一人。
MF 13 G・オリアーリ 1982年のワールドカップに出場。
MF 14 M・タルデリ 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のイタリアを代表する史上最高の選手の一人であり、欧州を代表するディフェンシブミッドフィルダーの一人。
MF 16 B・コンティ 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のイタリアを代表する史上最高のウインガーの一人であり、欧州を代表するウインガーの一人。
MF 19 F・グラツィアーニ ▼7分 1978年、1982年のワールドカップに出場。
FW 20 P・ロッシ 1978年、1982年のワールドカップに出場し、1982年は得点王。1970年代後半から1980年代のイタリアを代表する史上最高のストライカーの一人であり、欧州を代表するストライカーの一人。1982年にバロンドール受賞。
FW 18 A・アルトベッリ △7分 ▼89分 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代のイタリアを代表するストライカー。
MF 15 F・カウジオ △89分 1974年、1978年、1982年のワールドカップに出場。
監督 E・ベアルツォット イタリアを代表する史上最高の監督の一人。1978年、1982年、1986年のワールドカップに監督として出場し、1982年は優勝に導いている。
出場選手(西ドイツ)
GK 1 H・シューマッハー 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代の西ドイツを代表する史上最高のゴールキーパーであり、欧州を代表するゴールキーパーの一人。
DF 15 U・シュティーリケ 1982年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代の西ドイツを代表するミッドフィルダーであり、欧州を代表するミッドフィルダーの一人。
DF 4 K・H・フェルスター 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代後半から1980年代の西ドイツを代表する史上最高のストッパーの一人であり、欧州を代表するストッパーの一人。元西ドイツ代表のベルント・フェルスターは実兄である。
DF 5 B・フェルスター 1982年のワールドカップに出場。元西ドイツ代表のカール・ハインツ・フェルスターは実弟である。
DF 20 M・カルツ 1978年、1982年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代の西ドイツを代表する右サイドバック。
DF 2 H・P・ブリーゲル 1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代の西ドイツを代表するディフェンダー。
MF 6 W・ドレムラー ▼62分 1982年のワールドカップに出場。
MF 3 P・ブライトナー 1974年、1982年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代前半の西ドイツを代表する史上最高のミッドフィルダーの一人であり、欧州を代表するミッドフィルダーの一人。
MF 7 P・リトバルスキー 1982年、1986年、1990年のワールドカップに出場。1980年代から1990年代の西ドイツを代表するドリブラー。後年J・リーグのジェフ市原に選手として在籍し、アビスパ福岡に監督として在籍する。
FW 11 K・H・ルンメニゲ Ⓒ ▼70分 1978年、1982年、1986年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代の西ドイツを代表する史上最高の選手の一人であり、欧州を代表する史上最高の選手の一人。1980年、1981年にバロンドール受賞。J・リーグの浦和レッズでプレーしたミヒャエル・ルンメニゲは実弟である。
FW 8 K・フィッシャー 1978年、1982年のワールドカップに出場。1970年代から1980年代の西ドイツを代表するストライカー。
FW 9 H・ルベッシュ △62分 1982年のワールドカップに出場。
MF 10 H・ミュラー △70分 1978年、1982年のワールドカップに出場。1970年代後半から1980年代の西ドイツを代表するオフェンシブミッドフィルダー。
監督 J・デアヴァル 西ドイツを代表する名将の一人。1982年のワールドカップに監督として出場し、1982年は準優勝に導いている。
試合結果
1982年7月11日 サンティアゴ・ベルナベウ(マドリード)
イタリア 3-1 西ドイツ
得点 P・ロッシ(イタリア) 57分
M・タルデリ(イタリア) 69分
A・アルトベッリ(イタリア) 81分
P・ブライトナー(西ドイツ) 83分